今日は三一節です(祝日)。
1919年だから今年で88周年です。日本の統治は1910年~45年
3・1独立運動
1919年に全国に広がった、日本からの独立を求める大きなデモが起こった日。街をデモする大勢の無抵抗の市民たちが、日本の憲兵の銃に撃たれたり、逮捕され監獄で死亡しました。私は高校生の頃この実録映像をテレビで見ました。万歳を叫びながらデモする人たちが、バタバタと銃に倒れる映像でした。その映像を見たのはそれっきりですが、当時かなりショックを受けたようです。銃を撃っているのは日本人だよねー?と思いながら見た記憶があります。これが無意識的にも朝鮮語学科を志したきっかけになったかも知れません。日本人は知らない人が多いのですが、この日の出来事と柳寛順 ユ・グァンスンさん(故郷の天安で運動を指揮した当時18歳の女子大生=西大門刑務所で死亡)の名前は、是非知っておいて欲しいと思います。
今年は普段より高揚しているような雰囲気です…。
「ヨーコ物語」の影響でしょうか…。
それは別の機会にまた書くとして。
下の歌は私が学生時代によく聞いていた歌です。
88年に留学した時に、私が持っていたこの逆輸入のテープを
となりの部屋の韓国人学生たちが
しんみりと聞いていたのが思い出されます。
(あの頃の韓国の学生は「自分たちがこの国をよくしていくんだ!」という気概に満ちていました。
それはとてもまぶしく見えたものです。)
어머님 말씀 母さんの言葉
아들아, 내가 너만 했을때 비누공장의 여공이었다.
息子よ、私がお前くらいだった時 石鹸工場の女工だった。
우리는 열심히 일을 해서 일본만 좋은 일 시켜줬단다.
私たちは一生懸命働いて、日本にばかりいい思いをさせてやった。
우리네 원료로 만든 물건이 우리 손으로 만든 물건이
私たちの原料で作った物が、私たちの手で作った物が、
우리 것이 아니라 바다 건너 침략자 일본놈 것이었단다.
私たちの物ではなく 海を越えて 日本の物になったんだ。
아들아 ! 네가 커서 어른이 되면,
息子よ、お前が成長して大人になったら
남의 침략 받지 않는 나라 만들고,
人から侵略されない国を作って
배고파 우는 사람 없게 하여라,
お腹がすいて泣く人がいないようにしなさい
추위에 떠는 사람 없게 하여라.
寒さに震える人がいないようにしなさい
―――
23年間、私は韓国を、朝鮮半島を愛情持って見てきましたが、日本と決定的に違うのは
日本では戦争はいけない、「二度と過ちは繰り返しません」と記念日ごとに誓うのに対し
韓国では、「二度と侵略されないように」誓うのです。そして民族意識を高揚させる。
私たちは経験的にナショナリズムに対し警戒心を持っていますが、
韓国ではナショナリズムは善です。
そこらへんお互いに理解すること。
私でさえ辟易とすることもあるのは事実ですが…。
―――
そしてまた、私たちは太平洋戦争と植民地支配については、
分けて考えるべきだと思います。
時々これを混同して考えている人がいます。
戦争で迷惑をかけた。
じゃあ、戦争がなければ、植民地支配は良かったの?と。
あのまま続いていても良かったの?
私はそれを考えると恐ろしいです。
36年で植民地支配は終焉を迎えましたが、もし百年も続いていたとしたら、
私たちが今学んでいる言語はなくなっていたかもしれないのです。
植民地支配はいいこともしてあげたという人がいますが
鉄道をひいたり、近代的な学校制度をひいたり、身分制を廃止したり。
それは全部
日本人が暮らしやすくするためにやったことです。
かの地の人々のためではありません。
朝鮮が自分の力で近代化する機会を永久に奪った罪は大きいと思います。
歴史の流れで仕方なかったとか、
そうしなければ日本が列強からやられていたとか
朝鮮側もそれを許したから併合したのだとかいう考え方があるのは知っています。
でも、
朝鮮の人たちが自分たちで近代化する機会を永久に奪った、
これはとりかえしのつかないことだったと思います。