あまりにも有名な詩を載せてみます。
大学入試にも出ます。韓国のサイトを検索してみると国語の教科としての解説がずらっと出てきます。
予備校の先生が機械的に解説している動画もあったりして。
そして何よりもいま、複雑な気持ちになるのは、地名「寧辺」でしょう。
核施設のニュースで「寧辺 ヨンビョン(北ではニョンビョン)」の名前を聞くたび
この美しい文学作品が思い出されて、何と表現してよいかわかりませんが、複雑です。
詩に出てくる寧辺の薬山は平壌(ピョンヤン)の北の方、
つつじの花の美しい景勝地だったそうです。
金素月「つつじの花」
キム・ソウォル 「チンダルレ コッ」
김소월 - 진달래꽃
나 보기가 역겨워
私が疎ましくなって
가실 때에는
去って行かれる時には
말없이 고이 보내드리오리다.
黙ってきれいに行かせてあげましょう
영변에 약산
寧辺には薬山
진달래꽃
そのつつじの花を
아름 따다 가실 길에 뿌리오리다.
一抱え摘んで あなたの行かれる道に撒きましょう
가시는 걸음 걸음
行く道 行く道
놓인 그 꽃을
撒かれたその花を
사뿐히 즈려 밟고 가시옶소서.
そっとつま先で踏みながら行かれますように
나 보기가 역겨워
私が疎ましくなって
가실 때에는
去って行かれる時には
죽어도 아니 눈물 흘리오리다.
死んでも涙は流しません
[개벽, 1922년 7월]
☆いつかきっと私のことが嫌になる日が来るでしょう。
その時はいつでもきれいに別れてあげますから・・・
こういうのって、逆に怖いですか。 ^^;;
なお、この詩は伝来童謡的にメロディーをつけて大学街で歌われてもきたそうです。
それだけ人々に愛されてきた詩なのでしょう。
私は2000年ころ、韓国人留学生に歌を教わりました。
悲しげな短調のメロディーでした。
♪ なぼぎがよっきょうぉ かしるて~えぬん
まーろぷし こい ぽね とぅりおりだ
よんびょね やくさん ちんだるれ~え こっ
あるむただ かしる きれ ぷりおりだ
かしぬん こーるむごるむ のいん く~ こちゅる
さっぷに ちゅりょ ぱぷこ かしおぷそそ
なぼぎがよっきょうぉ かしるて~えぬん
ちゅ~ごど あに ぬんむる ふるりおりだ
ち~んだるれ うぉうぉうお
ち~んだるれ うぉうぉうぉ
ち~んだるれっ こっ ぴうぉんね~ ♪
何回も練習しましたよね~。ウォンさん、ありがとう。まだ東京にいるかな。
そして数年前、女性歌手マヤがこれを歌謡曲(ロック調)にアレンジして比較的ヒットしました。
その歌はこちらで聴けます。最初の節のメロディーは留学生に教えてもらった上のメロディーと同じです。
私としては、この方の歌声はイマイチなんですが。
(映像を貼り換えました。この記事にアクセスが結構あるので…2016年4月)
マヤ「つつじの花」2003年の音楽番組
https://www.youtube.com/watch?v=_hniiWWUOo4
↓高校の先生が書いた解説文です。
最も知られている詩だが、最も誤読されている詩でもある。大部分の人は「つつじの花」が別れの詩だと思っているが、これは決して別れだけを歌った単純な詩ではない。なぜなら[行かれる時は]「~しましょう」と未来推定形で書かれているからだ。英文ならif で始まる仮定法と意思未来で叙述された文章なのである。
従って実際の意味で見れば、恋人は現在自分を嫌ってはおらず、去って行くものでもない。むしろ彼らは今、熱烈に愛し合っている最中だ。それにも関わらず、この詩は韓国の別れの歌の代表として読まれてきた。時制を無視し、現在や過去形で書かれた別れの歌と同一視してきたためだ。
高麗時代の歌謡「カシリ」を始め、「十里も行けずに足が痛む」の「アリラン」民謡に至るまで、別れを歌った詩は100%その状況を過去形や過去形で陳述してきた中で、金素月の「つつじの花」だけが未来推定形になっている。詩全体が「万一」という仮定で展開している。
(以下省略)
↓ 大学入試予備校の授業
http://video.search.naver.com/search.naver?where=vsdetail&query=%C1%F8%B4%DE%B7%A1%B2%C9%20%B1%E8%BC%D2%BF%F9&sort=&vid=2000069977&scene_no=4&parent_vid=1338040&qt=query&charge=all&vclass=all&vclass=all&definition=all&cp_selected=0
선생님의 자꾸 쯧 하는 소리가 싫어~
大学入試にも出ます。韓国のサイトを検索してみると国語の教科としての解説がずらっと出てきます。
予備校の先生が機械的に解説している動画もあったりして。
そして何よりもいま、複雑な気持ちになるのは、地名「寧辺」でしょう。
核施設のニュースで「寧辺 ヨンビョン(北ではニョンビョン)」の名前を聞くたび
この美しい文学作品が思い出されて、何と表現してよいかわかりませんが、複雑です。
詩に出てくる寧辺の薬山は平壌(ピョンヤン)の北の方、
つつじの花の美しい景勝地だったそうです。
金素月「つつじの花」
キム・ソウォル 「チンダルレ コッ」
김소월 - 진달래꽃
나 보기가 역겨워
私が疎ましくなって
가실 때에는
去って行かれる時には
말없이 고이 보내드리오리다.
黙ってきれいに行かせてあげましょう
영변에 약산
寧辺には薬山
진달래꽃
そのつつじの花を
아름 따다 가실 길에 뿌리오리다.
一抱え摘んで あなたの行かれる道に撒きましょう
가시는 걸음 걸음
行く道 行く道
놓인 그 꽃을
撒かれたその花を
사뿐히 즈려 밟고 가시옶소서.
そっとつま先で踏みながら行かれますように
나 보기가 역겨워
私が疎ましくなって
가실 때에는
去って行かれる時には
죽어도 아니 눈물 흘리오리다.
死んでも涙は流しません
[개벽, 1922년 7월]
☆いつかきっと私のことが嫌になる日が来るでしょう。
その時はいつでもきれいに別れてあげますから・・・
こういうのって、逆に怖いですか。 ^^;;
なお、この詩は伝来童謡的にメロディーをつけて大学街で歌われてもきたそうです。
それだけ人々に愛されてきた詩なのでしょう。
私は2000年ころ、韓国人留学生に歌を教わりました。
悲しげな短調のメロディーでした。
♪ なぼぎがよっきょうぉ かしるて~えぬん
まーろぷし こい ぽね とぅりおりだ
よんびょね やくさん ちんだるれ~え こっ
あるむただ かしる きれ ぷりおりだ
かしぬん こーるむごるむ のいん く~ こちゅる
さっぷに ちゅりょ ぱぷこ かしおぷそそ
なぼぎがよっきょうぉ かしるて~えぬん
ちゅ~ごど あに ぬんむる ふるりおりだ
ち~んだるれ うぉうぉうお
ち~んだるれ うぉうぉうぉ
ち~んだるれっ こっ ぴうぉんね~ ♪
何回も練習しましたよね~。ウォンさん、ありがとう。まだ東京にいるかな。
そして数年前、女性歌手マヤがこれを歌謡曲(ロック調)にアレンジして比較的ヒットしました。
その歌はこちらで聴けます。最初の節のメロディーは留学生に教えてもらった上のメロディーと同じです。
私としては、この方の歌声はイマイチなんですが。
(映像を貼り換えました。この記事にアクセスが結構あるので…2016年4月)
マヤ「つつじの花」2003年の音楽番組
https://www.youtube.com/watch?v=_hniiWWUOo4
↓高校の先生が書いた解説文です。
最も知られている詩だが、最も誤読されている詩でもある。大部分の人は「つつじの花」が別れの詩だと思っているが、これは決して別れだけを歌った単純な詩ではない。なぜなら[行かれる時は]「~しましょう」と未来推定形で書かれているからだ。英文ならif で始まる仮定法と意思未来で叙述された文章なのである。
従って実際の意味で見れば、恋人は現在自分を嫌ってはおらず、去って行くものでもない。むしろ彼らは今、熱烈に愛し合っている最中だ。それにも関わらず、この詩は韓国の別れの歌の代表として読まれてきた。時制を無視し、現在や過去形で書かれた別れの歌と同一視してきたためだ。
高麗時代の歌謡「カシリ」を始め、「十里も行けずに足が痛む」の「アリラン」民謡に至るまで、別れを歌った詩は100%その状況を過去形や過去形で陳述してきた中で、金素月の「つつじの花」だけが未来推定形になっている。詩全体が「万一」という仮定で展開している。
(以下省略)
↓ 大学入試予備校の授業
http://video.search.naver.com/search.naver?where=vsdetail&query=%C1%F8%B4%DE%B7%A1%B2%C9%20%B1%E8%BC%D2%BF%F9&sort=&vid=2000069977&scene_no=4&parent_vid=1338040&qt=query&charge=all&vclass=all&vclass=all&definition=all&cp_selected=0
선생님의 자꾸 쯧 하는 소리가 싫어~