韓国語を勉強するということ以外に、
色々な国から来ている人と知り合える、友達になれる醍醐味があります。
留学生同士、共通の言語は当然、韓国語です。
いろいろな国から来ている人と韓国語で話をしていると
相手は自分にとって[外国人]なんだけど、[外国人]とは思えないような
妙な親近感があります。
日本で[日本人・外国人]の立場で会うのとは、確実に違います。
「韓国語を話せるが、ネイティブではない」
「違う文化・言語の国に来て、多少なりとも苦労して暮らしている」という
共通点から来る「仲間意識」とでもいいましょうか。
その人が、同じく国から来た人と母国語で話しているのを聞いて
自分とは違う国の、違う文化を持った人なんだと改めて感じたり。
経験者ならわかる笑い話ですが、普段韓国語で話している中国人が
いきなり中国語で話しているのを聞いて、なぜかびっくりするとか。
○○さん中国語が上手だね~と冗談言ったり。
2004年某学期
=延世大語学堂6級のクラス内訳=
日本人は私1人(30代)
在日韓国・朝鮮人が5人(20代、20代、20代、20代、30代?)
アメリカ人が1人(20代)
ウズベキスタン人が1人(30代)
中国人が2人(20代、30代?)
私のクラスの在日の人は、大部分、日本で朝鮮学校に通っていた方たちでした。
大体、韓国に来ると、4級くらいに編入することになるようです。
そんなもんなのかと少し驚きましたが、
確かに、話すのは慣れているけれど、語彙が少ないように思われました。
ウズベキスタンの人は、既に韓国で通訳の仕事をしていた方でした。
独特でした。^^
2004年某学期
=西江大学韓国教育院7級のクラス内訳=
日本人は私ふくめ5人(30代、30代、20代?、20代、20代)
在日韓国・朝鮮人2人(20代、30代?)
中国の朝鮮族が1人(20代)
台湾人が1人(30代?)
モンゴル人が1人(20代)
不思議なものです。
考えてみれば、
先生は韓国生まれの韓国人
Jさんは日本生まれの韓国人(高校だけ民族学校に通っていた)
Yさんは日本生まれの朝鮮人(小・中・高、民族学校に通っていた)
Kさんは中国生まれの朝鮮人(家では朝鮮語を使っていた)
彼らの曾祖父母は19世紀には同じ朝鮮半島に住んでいたんだろうと思うと
少し不思議な気がしました。
そうして私、日本人が皆同じ教室で勉強しているという…。
時々クラスメートに会いたくなります。
私はあまり群れる方ではなく、期間も短かったので
特に親しい友達はいなかったですけれど、
それでも時々無性に会いたくなりますね。
どうしてるかなと思います。
それは1988年に留学していた時も同じです。
あの時のクラスメートは今頃どうしているでしょう。
それぞれの国に帰って、元気でいるでしょうか。
韓国語の実力はどうなっているでしょう。궁금합니다.
=1988年 春学期 延世大学3級クラス内訳=
日本人は私ふくめ3人 (20代、30代、40代)
在日韓国・朝鮮人が2人(40代、40代)
在米韓国人が3人(20代、20代、20代)
アメリカ人が1人(20代)
中国人が1人(20代)
日本人は私と、銀行員の男性(仕事で来ている)と、サムルノリをやっている男性でした。
ハチ氏という愛称でしたが、これを見たらメールでも欲しいものです。
(追記:先日19年ぶりにハチ氏とメールで連絡がとれました。韓国で音楽活動をされているそうです。)
今も昔も語学堂の雰囲気はあまり変わってないけれど、
今は日本から若い人がたくさん行くようになりましたね。
ちなみに語学堂では、基本的に「(姓ではなく)下の名前+씨 」で呼ばれます。
先生がそう呼ぶから生徒同士も。
お互いそれで通すので、仲良くなっても姓は知りません。
クラスに60代の方がいらっしゃいましたが、
히로시 씨 と皆、呼んでいました。^^
親ほど年の離れた方に、「ひろしさん」というのは日本ではありえないけど、
韓国の留学生同士という立場だからいいんです。
クラスメートとして、全く違和感なかったし。
いろいろな人がいて面白いです。
色々な国から来ている人と知り合える、友達になれる醍醐味があります。
留学生同士、共通の言語は当然、韓国語です。
いろいろな国から来ている人と韓国語で話をしていると
相手は自分にとって[外国人]なんだけど、[外国人]とは思えないような
妙な親近感があります。
日本で[日本人・外国人]の立場で会うのとは、確実に違います。
「韓国語を話せるが、ネイティブではない」
「違う文化・言語の国に来て、多少なりとも苦労して暮らしている」という
共通点から来る「仲間意識」とでもいいましょうか。
その人が、同じく国から来た人と母国語で話しているのを聞いて
自分とは違う国の、違う文化を持った人なんだと改めて感じたり。
経験者ならわかる笑い話ですが、普段韓国語で話している中国人が
いきなり中国語で話しているのを聞いて、なぜかびっくりするとか。
○○さん中国語が上手だね~と冗談言ったり。
2004年某学期
=延世大語学堂6級のクラス内訳=
日本人は私1人(30代)
在日韓国・朝鮮人が5人(20代、20代、20代、20代、30代?)
アメリカ人が1人(20代)
ウズベキスタン人が1人(30代)
中国人が2人(20代、30代?)
私のクラスの在日の人は、大部分、日本で朝鮮学校に通っていた方たちでした。
大体、韓国に来ると、4級くらいに編入することになるようです。
そんなもんなのかと少し驚きましたが、
確かに、話すのは慣れているけれど、語彙が少ないように思われました。
ウズベキスタンの人は、既に韓国で通訳の仕事をしていた方でした。
独特でした。^^
2004年某学期
=西江大学韓国教育院7級のクラス内訳=
日本人は私ふくめ5人(30代、30代、20代?、20代、20代)
在日韓国・朝鮮人2人(20代、30代?)
中国の朝鮮族が1人(20代)
台湾人が1人(30代?)
モンゴル人が1人(20代)
不思議なものです。
考えてみれば、
先生は韓国生まれの韓国人
Jさんは日本生まれの韓国人(高校だけ民族学校に通っていた)
Yさんは日本生まれの朝鮮人(小・中・高、民族学校に通っていた)
Kさんは中国生まれの朝鮮人(家では朝鮮語を使っていた)
彼らの曾祖父母は19世紀には同じ朝鮮半島に住んでいたんだろうと思うと
少し不思議な気がしました。
そうして私、日本人が皆同じ教室で勉強しているという…。
時々クラスメートに会いたくなります。
私はあまり群れる方ではなく、期間も短かったので
特に親しい友達はいなかったですけれど、
それでも時々無性に会いたくなりますね。
どうしてるかなと思います。
それは1988年に留学していた時も同じです。
あの時のクラスメートは今頃どうしているでしょう。
それぞれの国に帰って、元気でいるでしょうか。
韓国語の実力はどうなっているでしょう。궁금합니다.
=1988年 春学期 延世大学3級クラス内訳=
日本人は私ふくめ3人 (20代、30代、40代)
在日韓国・朝鮮人が2人(40代、40代)
在米韓国人が3人(20代、20代、20代)
アメリカ人が1人(20代)
中国人が1人(20代)
日本人は私と、銀行員の男性(仕事で来ている)と、サムルノリをやっている男性でした。
ハチ氏という愛称でしたが、これを見たらメールでも欲しいものです。
(追記:先日19年ぶりにハチ氏とメールで連絡がとれました。韓国で音楽活動をされているそうです。)
今も昔も語学堂の雰囲気はあまり変わってないけれど、
今は日本から若い人がたくさん行くようになりましたね。
ちなみに語学堂では、基本的に「(姓ではなく)下の名前+씨 」で呼ばれます。
先生がそう呼ぶから生徒同士も。
お互いそれで通すので、仲良くなっても姓は知りません。
クラスに60代の方がいらっしゃいましたが、
히로시 씨 と皆、呼んでいました。^^
親ほど年の離れた方に、「ひろしさん」というのは日本ではありえないけど、
韓国の留学生同士という立場だからいいんです。
クラスメートとして、全く違和感なかったし。
いろいろな人がいて面白いです。