ソウルの骨董品街として昔から有名な通りです。
初めて行ったのは1980年代中頃。
当時からガイドブックには載っていました。
でもこれがガイドブックに載るほどのもの?と思うほど
20年前は印象薄い灰色の街。
おじさんが個人商店で古い骨董品を売っているイメージだった。
次に思い出に残っているのは
1992年、当時ふとした縁で知り合った「韓国・民族美術協議会」の人たちと
地面に輪になって座り、夕方から酒盛りをしたこと。
民美協の事務所が仁寺洞のビルにあったので。
道端で酒を飲むのは開放感があった。
当時は人通りも今ほど多くなかったし、車の量も少なかったので大丈夫でした。
韓国政府が民主化宣言をして、まだいくらもたっていないころでした。
(当時、民美協の事務局長をしていた方とは、3年前、川崎で私がボランティア通訳をしているときに
実に11年ぶりに偶然再会し驚きました。)
次は久しぶりに訪れた1998年、この頃になると、カラーな思い出になる。
民俗工芸みやげ物店も増え、伝統茶店も増えた。
小鳥の飛ぶ茶店も既にこの頃あった。
(いつも授業でお見せするビデオに出てくる茶店です)
歩道と車道の間に区切りができた。
2004年頃になると、仁寺洞の商店街としての発展ぶりは目覚しいものになった。
歩道と車道が別々になった。土日は歩行者天国になった。
昔からの骨董品店に加え、みやげ物店が充実し、しゃれたビルもできた。
2005年、仁寺洞の中ほどにできたサムジキルはちょっと不思議な建物で
階段を上がらなくても4階までいけます(?)
もうすっかりカラフルで華やかで、芸術的な雰囲気に包まれた街、インサドン。
韓国の民芸品、昔ながらの伝統工芸品、ちょっと変わった可愛いものであふれています。
仁寺洞はお勧めの通りです。
最寄の駅は地下鉄安国駅または、地下鉄鐘閣駅または鐘路3街駅下車
初めて行ったのは1980年代中頃。
当時からガイドブックには載っていました。
でもこれがガイドブックに載るほどのもの?と思うほど
20年前は印象薄い灰色の街。
おじさんが個人商店で古い骨董品を売っているイメージだった。
次に思い出に残っているのは
1992年、当時ふとした縁で知り合った「韓国・民族美術協議会」の人たちと
地面に輪になって座り、夕方から酒盛りをしたこと。
民美協の事務所が仁寺洞のビルにあったので。
道端で酒を飲むのは開放感があった。
当時は人通りも今ほど多くなかったし、車の量も少なかったので大丈夫でした。
韓国政府が民主化宣言をして、まだいくらもたっていないころでした。
(当時、民美協の事務局長をしていた方とは、3年前、川崎で私がボランティア通訳をしているときに
実に11年ぶりに偶然再会し驚きました。)
次は久しぶりに訪れた1998年、この頃になると、カラーな思い出になる。
民俗工芸みやげ物店も増え、伝統茶店も増えた。
小鳥の飛ぶ茶店も既にこの頃あった。
(いつも授業でお見せするビデオに出てくる茶店です)
歩道と車道の間に区切りができた。
2004年頃になると、仁寺洞の商店街としての発展ぶりは目覚しいものになった。
歩道と車道が別々になった。土日は歩行者天国になった。
昔からの骨董品店に加え、みやげ物店が充実し、しゃれたビルもできた。
2005年、仁寺洞の中ほどにできたサムジキルはちょっと不思議な建物で
階段を上がらなくても4階までいけます(?)
もうすっかりカラフルで華やかで、芸術的な雰囲気に包まれた街、インサドン。
韓国の民芸品、昔ながらの伝統工芸品、ちょっと変わった可愛いものであふれています。
仁寺洞はお勧めの通りです。
最寄の駅は地下鉄安国駅または、地下鉄鐘閣駅または鐘路3街駅下車