本日12月6日付け長崎新聞の1面「きょうの一句」を目にして、作品、解説とも見事な出来映えにうなってしまいました。

 老いてなお生きる喜び木守柿 杉山いさお

 そして横山哲夫先生による注釈。

 先生は「満目蕭条の中、一点の堆朱のごとく夕日に照る木守柿はー」などと言葉を列記して解釈して見せます。こんな言葉があるのか……。

 まず「木守柿」について、読みは、きもりがき、こもりがき、きまもりがき、とも。蕭条、堆朱など、ネットの辞書には紹介されていましたが見事というほかありません。

 言葉の芸術となると、単なる伝える「道具」ではなく、言葉が生来持つ意味と力を生かす、言葉の命の発露を促す芸術の「素材」ということでしょう。

 神代の時代からただ今の言葉まで掘り起こして句に込め、その語の命を再生、躍動させるということでしょうか。

 この山里の住宅地に住んでもう30年になります。四季の移ろいを周囲の山々、さまざまな木々や可憐な野の花との〝会話〟から感じ取り、カメラを向けて温かい気持ちを育んでいます。私に詩心があったら私なりの解釈で短詩に再生できるのですが、何分無骨な人間、ただ愛でるだけで四季をやり過ごしている次第です。

 写真を数点、アトランダムに……。