私は美術作品を、ああ美しいなあ、抱きしめたいなあなんて、エロスの美を入り口に好悪を決めることが多々あります。理屈抜きの美へのオベーション。面白い!も同様です。理屈は後から自然に湧いてきます。  線、色、形、そのいずれもで構成された構図。「美しい」と感動させる源は意外にも、色そのもの、線そのものにあるのです。それを生み出すのが作家なのでしょう。

 長崎市の大澤弘輝の新作展「がっつり暑いぜ夏合宿」(西海市西海町・パチンコ「パラダイス」跡)を観ました。ここ2、3年、順調に個展を開催し、その都度、新作を世に問うことで技量を鍛え、美術の真髄に近づこうとしている若い作家です。

 平面、オブジェ、ビデオアートなどなど、旺盛な創作意欲にあふれる実験作が並び、まずは好感を持ちました。

 会場は、郊外にあるパチンコ店跡。とても広さを感じます。そこへ、天井から吊るした最大1辺3メートルを超える綿布や、大きいデッサン用紙に浮遊する線の構成があふれます。細いペンや太い絵筆によるドローイングが、それぞれ線を形として変容させているのです。さらにビデオアートでしょうか、シンメトリーの面白さを作家自身が登場して演じています。

 床には動物などの陶人形が雑多に並び、まるで子供の遊び場のようなコーナーです。やはりアクリル絵の具の暖かい色彩が光を放っています。さらには陶のロボット人形が子供を挑発しています。「幼いころに抱いたイメージを復活させた。忘却した幼年期の記憶」と言います。

 今回の展示作品、綿布のドローイング、陶人形の絵付け、ビデオも含めて「絵画ではなくて絵なのです」と〝絵〟を強調していました。「身体や砂などを含め支持体を問わず描くのが絵」だと。「とすると観念としての絵ということ?」と問うと「そうです!」と。変容を孕んだ、とりあえずの〝完成〟作ということでしょうか。

「自分の意思とか好みとかは不確か。他人に触発されて動いた結果としての作品です」とも言います。自己を無化する訓練としての美術の営みなのでしょう。

 で、私は冒頭に帰ってしまうのです。理屈を可視化した作品群とも形容できる今回の展示。美術はやはり、ああ、美しい、抱きしめたい……と感動させる何かを入り口として、理の世界に填っていくのではないか、ということです。

 この「入り口の美」への感動が果たしてどれだけ深く、広く今回の個展で表現されているかなと、やはり課題は残ります。

 同展は9月4日まで午前10時から午後6時まで。無休。今回、長与町の画廊「SoRa」の松本さんご夫婦とお母さまの車に同乗させていただき、観覧が実現しました。ありがとうございました。