ノーベル文学賞を受賞(1994年)した大江健三郎。学生時代から、その作品で将来を嘱望されていた。彼の若き日の時代意識を知りたくて、短篇集をひも解いてみた。

 新潮文庫「死者の奢り・飼育」(昭和34年9月初版)。

「死者ー」は、大学の実験解剖用の人の死体保存置き場でのアルバイト学生の行動と心理を描く。ただアルコール液に浮いたままの死体。移動させるために水槽から引き出そうとするのだが、まるで生きているように浮いたり沈んだり。学生を翻弄する死者の傲慢を連想させるのだが、死体とはいえ、同じ人間を解剖用に使うという人間の傲慢を浮き彫りにする。

 人間ではあるが死して以後は物体である。命あっての人間なのか、死体こそ人間の本質なのか。

 「他人の足」は、まことに後味の悪い〝現代〟小説。戦後の脊椎カリエス病者の療養所での若者が描かれる。入所した学生が反米闘争への賛同を入所者に促す活動をする。主人公の若者もオルグされるのだが、穏やかな日常が壊され、翻弄される。学生は晴れて退所の日を迎え、何もなかったような笑顔で出て行った。この作品集に一貫しているテーマのようだが、〝欺瞞〟を描いている。人の偽善。

 「人間の羊」もそうだ。戦争直後のGHQ統治時代。バス内で乗客の男たちが、米兵たちに尻をむき出しにし四つん這いにさせられ、淫らな仕草で囃し立てられて笑いものにされる。主人公の若者もその被害者の一人。

 騒動が去って、四つん這いを免れた男が、出来事を警察に訴えようと誘う。若者は拒否するが執こく訴え出ようと追いかけて来る。現場では知らんぷりを貫き、災いが去って正義ぶる輩。時代を問わず、社会の構成員として存在し続けている。

 「不意の唖」は山村をジープで訪れた占領軍の兵隊たち。その日本人通訳が兵士に交じって川遊びをした際、靴がなくなる。村人の責任が問われ、執拗に探すように求める。村人たちは誰も知らない。「川に流されたのでは」と問い返すが効かない通訳。兵士たちもどうやら辟易しているようだ。勝者・米国にへつらい、同胞の村人たちに精一杯威張って見せる日本人通訳。今の時代に続く信用ならん手合いである。

 「飼育」。戦時の山村での出来事。米軍機が山村に墜落した。乗っていた黒人兵が村人たちに捕まった。彼らにとっては〝家畜〟の印象のようだ。猟師の家で「飼う」ことになり、子供たちとの交流が描かれる。次第に打ち解け合い、鎖を解かれる。村人とも交流が可能になった矢先に県から連行の連絡が来る。殺されると察知した黒人捕虜。そばにいた少年を捕まえて籠城するがその父である猟師が鉈で黒人の頭を勝ち割り、そのはずみで捕縛されていた少年の掌を潰してしまった。

 この出来事。被「支配」からの自立のための〝犠牲〟という日米関係を示唆しているようであり、少年自身の被「飼育」への目覚めのようなものも感じ取れる。日米の国家間の在りようのアイロニーではないか。卑近な例をひくようだが、あるサファリパークで、複数の飼育員がトラに襲われ大けがをした。人が檻に居てライオンから身を守る形式。日本人の被「支配」は続いている。  

 「戦いの今日」は現代小説としても読みごたえのある充実した内容だった。読後、溜息が出、感動が身内を埋めた。今も続く日米安保条約と地位協定の縛り。このわが国の基本が、戦後の頸木を離れ難くしている現実を思い知らされるようだった。

 朝鮮戦争時、従軍拒否を呼び掛ける運動を末端で手伝う兄弟と、出兵に怯え娼婦に助けを求めた若い脱走兵との逃亡生活と破綻。

 脱走兵救出運動の中枢部は、いざ脱走兵が逃げようとすると、匿うことまで責任を持たないと拒否。兄弟のもとに逃げ込んだ若い米兵と彼を助ける娼婦。いつまでたっても米軍は動かず、そのうち米兵は日常を取り戻す。すっかり横着になった米兵、ある日、弟に暴力を奮い、どぶ川に突き落とす。兄は復讐の暴行の末、彼を世間に放り出す。

 白人の黒人への人種差別。そして、日本人への人種差別と被支配者差別。これらが自由の身となった若い白人兵士の所業で令和の今の現実に浮き彫りにされる。

 「戦いの今日」は、兄弟愛もしみじみと感受される内容だが、解説で江藤淳は「このような抒情家の系譜には、たとえば安岡章太郎がいるし、川端康成がいる」と述べている。この抒情の表出は大江の狙いによる描出か、それとも文章から滲み出て来た〝芸術の雫〟か。

 大江は置かれた今という「時代」を描く。事の本質とその時代を生きる人間の弱さ、卑しさをえぐり出すように切開して見せる。若き日の大江の冴えっぷりが見事に各小説に表出されている。まだ20代前半の若い感性の冴えである。

 さて平成から令和の時代、内向き以後の感性は文学にどう冴えを見せるのだろうか。

 (「死者の奢り」「他人の足」「飼育」「人間の羊」は昭和33年3月、「不意の唖」「戦いの今日」は同年10月刊行の作品集に発表。大江、23歳の時)