大学時代の夏休みだったか、実家に帰省して納戸に寝転んで清張ものを読んでいた。
1970年前後のこと。当時、「正義の松本清張、抒情の水上勉」といった具合で社会派ミステリー・ファンが二分していたが、私は両派に親しんでいた。もう半世紀前になる。
さて、読んでいたのは清張の何という小説だったか? あの日以来、関連する事柄。例えば記憶に在る黒っぽい表紙の書籍に出会ったり、知らないタイトルの清張ものに出会うと、フッとあの小説への拘りが湧いてきて書籍のタイトルを見たり、ページをめくってみたりする。(黒っぽい表紙は「黒革の手帳」の記憶だと後に知った)
田舎での夏の一日ことである。周囲は田んぼばかり、住居の片面だけ狭い旧県道が接している。遠く山沿いに、高速道に直結するバイパスが走って以来、昔の砂利道には車も滅多に通らない。4畳半には蝉の声ばかりが響く。
文中ただ一カ所、色濃く記憶していたのは、川の土手道を黒衣の僧が一人背を丸めて歩く姿であり、主人公が対岸から目にして幼時の記憶を触発されるといった内容。小説全体の筋書き、結末はとうに記憶から消えているのだが、思い返すだけでなぜか鳥肌が立っていた。
納戸の隣の座敷には仏壇がヒンヤリと控えている。山麓を削ったバイパスの下には川が流れており、たまに路側帯に人の姿を見つけると、小説の風景との類似にヒヤリとした。不気味さに満ちた記憶。何かの折に、このプロットが蘇るのだ。
あのミステリーのタイトルは何んだったのか。記憶を掘り返す作業はそのまま、心の奥に居座った恐怖心を蘇らせてしまい、ぞっとする。
そんな心の奥にべっとり貼り付いた記憶ではあるが、さすがに年月とともに筋書きの細部は消えていき、骨子だけが居座る状態になる。でも、私はなぜか消し去ることが出来ず、一方であいまいにだが記憶を醸成していた。不気味な味わいを楽しもうとするかように。
そのタイトルが一気に判明した。たまたまユーチューブの朗読を聞いていて、あの土手の僧の場面に出くわしたのだ。アーと思わず叫んでしまった。溜飲を下げた感じがした。
タイトルは「家紋」だった。短編集に収録された一作。ある寂しい村で、夫婦が一人ずつ呼び出されて惨殺される。呼び出しには本家の家紋の入った提灯を提げた使いがきた。まず夫が連れ出され、しばらくして再度、使いが来て、乳飲み子を寝かせたばかりの妻も誘い出す。妻は隣の女に児の世話を頼んで、使いの者と出て行き、惨殺されるのだ。幼児の目に、男の姿と提灯の記憶がおぼろげに残される。そんな筋書きだった。
私の小説の記憶は、後に主人公の女性が故郷を訪れ、川向うの土手を歩く僧の姿におぞましい違和感を感じる件だ。
半世紀を超えてこだわり続けた、この寒々とした記憶。清張の呪縛から解き放された感よりも、何か人生の大切なものを失った感じがしないでもない。これも小説の読み方、楽しみ方。清張作品のすごさだろう。