女性4人(今は一人妊娠で休業とか)のお笑いグループ「ぼる塾」の台詞「まあねえ」が今年の流行語大賞などと評判になっている。向かって右端の女性・田辺智加のボケ台詞なのだが、受けに受け、今やお笑い人気を背負うまでになった。

 ところが、私はこのごろ、この「まあねえ」が気になっている。素直に笑えないのだ。と言うのは、以前は「まあねえ」のアクセントが「ま」にあり、次に話題の根拠となるエピソードが続いたように記憶する。続きの話題の話がなくても「まあねえ」により、あからさまに表に出せない〝面白い〟理由となる何かの事情を匂わせていた。

 と言うのは、「まあねえ」は、「実はね、大ぴらには言えない深いわけがあるのよ」と無言の接続語が続き、「父親が銀行の頭取なのよ」「叔父が学長なのよ」など、「まあねえ」に続く文脈が隠されていた。要するに、以前の「まあねえ」は相槌であり、〝否定的〟接続詞「でもねえ」の意味でもある。だからファンは話の続きを期待してしまうのだ。さらに「まあまあ」という副詞の作用も働き、相手の気持ちを抑え宥めるニュアンスも込められていたと思う。

 その「まあねえ」のアクセントがこのごろ「え」に移動して語尾上げの「まあねえ」になり、自慢言葉に変質したのではないか。だから話は続くはずはなく、話題もそれでチョン。面白みが無くなったのだ。

 考えて見ると田辺の吐く「まあねえ」は台本構成のコンテクスト(文脈)に関わってくる肝の部分といえようか。

 

 きょう昼のテレビ朝日「徹子の部屋」は中村メイコを迎えての対談だった。過去から近過去の話題を取り上げ、文句なく面白かった。二人とも全くの自然体。まさに芸能界の女帝対談で、親友同士の爆笑トークだった。そこに黒柳徹子から「まあね」が続けて2度出たのだ。

ーこんな調子。

 手術したメイコ「取り出した胆石、私(黒柳)に頂戴と言うんだもの。普通だったらびっくりするわよ」

 徹子「あなたは」

 メイコ「びっくりはしない。あなたが言うんだもの」

 徹子「そう、まあね」

     ………

 メイコ「ぐるぐる目が回るの」

 徹子「私はお酒飲まない」

 メイコ「よかったわね」

 徹子「まあね」

    ………

 黒柳徹子のこの「まあね」も言わば否定的接続詞。「でもね」が少々強く反映しているように思える。

 この言葉から、視聴者は、あれこれと話の文脈と成り行きを想像・妄想してしまう。話題に広がりができていい。優れた噺家、講演者はすべてを言い尽さず、とっておきの小さな話題を残しておける人。話の文脈を引き継ぎ、余韻を残こせる人の事だろうーそんなことを思った。テレビ朝日「徹子の部屋」画面