▽人は人のプライバシーを侵害できない
▽人はロボットのプライバシーを侵害できる
▽ロボットは人のプライバシーを侵害できない
▽ロボットはロボットのプライバシーを侵害できる
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こんな定義らしき記述を並べてみたが、全く論理的ではない。なぜなら、ロボットには端からプライバシーといった概念はなく、だから保護しようもない。妄想が妄想を呼んで頭が混乱したようだ。
プライバシーとは、私生活上の事であり個人情報。人間にはこれらが固有の権利、私事権として法的に保障されている。しかし、機械・道具であるロボットには当然のように保護されてはいない。あるのは産業上の技術・商品情報である。
長崎出身の英国人作家カズオ・イシグロの長編小説 「クララとお日さま」では、主人公の人工親友AF(ロボット)クララと女の子ジョジーとの友情が描かれる。この女の子は大気汚染のためか、命の危機にさらされている。母親クリシーは娘亡きあとの悲しさに耐えられないからと、買い取ったクララにジョジーのクローン的存在になるよう要求する。クララは〝主人〟の指示であり渋々了承。日ごろからジョジーの所作を盗み取り寸分違わぬ言動に心がける。
だが、太陽と交信できるクララ。必死の思いで太陽にジョジーの回復を願って幸いにも生還。クララのジョジー化計画は杞憂と化した。
ここで「プライバシー」問題が浮上する。
ロボットが人間の個人情報を細部にわたり侵害するのである。人工親友AF(ロボット)が少女ジョジーの全存在を写し取ろうとしたのだ。明確なプライバシーの侵害である。主人である人間の要請とはいえ思考・行動すべての細密な複製にクララ自身〝決意〟を示している。ロボットが人のプライバシーを侵害したのである。
「クララとお日さま」は〝プライバシー小説〟と私は性格付けした。
早川書房版の17ページに「わたしはよほどーープライバシーを侵すのを承知でーー振り返ろうかと思いましたが(略)」と初出した後、最後の384ページ「わたしはプライバシーを必要以上に侵さないことがいかに重要かを思い出し(略)」まで、「プライバシー」の単語が全12回にわたり記される。作者イシグロの「プライバシー」に関わる問題意識の強さの表れとみていい。
アイザック・アシモフの古典的名著「われはロボット」(ハヤカワ文庫SF)はロボット工学三原則として①ロボットは人間に危害を加えてはいけない②ロボットは人間の命令に服従しなければならない③第一、二条に反しない限り自己を守らなければならない(以上要約)ーを挙げている。
このSF未来小説は9つの短編で成っており、その8「証拠」編では「プライバシー」をテーマとしている。
検事が選挙戦に出馬するという。「彼は実はロボットだ」とのうわさが広がる。そこで、真相を確かめたいと当局の指示で所有財産や家屋内などを調べられるが、何も出てこない。「では、あなたのエックス線写真を」と催促されるが、当の検事は、「プライバシーの侵害」と調べを拒否する。当局から人間として認定されているのだからプライバシーがあるのだと。
このように、アシモフもロボットとプライバシーに踏み込んだエピソードを創作しているのだ。
しかし、あくまでもアシモフの問題意識は現時点の人権感覚を背景にしており、人間のプライバシーである。ロボットは人間に使用されるマシン・道具であり、ロボット工学三原則までの意識に留まっている。「プライバシー」は人間の問題であり、ロボットの問題との意識は全く持ち合わせてはいないようだ。ひとまず「ロボット工学四原則」として、④ロボットは人間のプライバシーを侵害できないーを追加しておく必要がありそうだ。
だがカズオ・イシグロはこの新作「クララとお日さま」で、ロボット文学に新たな地平を切り開こうとしたのではないか。近い将来、「ロボットのプライバシー」が命題に上がるのは必定だろう、との予測に立った筋書き。ジョジー化したクララに人間同様の〝プライバシー〟の付与を視野に入れた物語と感受したのだ。
「人間とロボット」ーこの両者の親密な関係の確かな未来図はまだ描かれてはいない。新作発表のたびに新たな世界を提示するカズオ・イシグロ。主題・内容・形式ともに、彼の強靭な挑戦心が伺える「クララとお日さま」である。