福岡県八女市立花町(旧八女郡立花町)辺春出身の作家、五木寛之の一連の作品群に若い頃はまった。もう45年ほども前のこと。彼が仏教研究に入る前、「戒厳令の夜」を出したころまでの小説を乱読したのである。

 当時の五木はユーモア、冒険、エッセイの三分野の執筆で活躍。次々と作品を世に送り出し、ファンの心をつかんでいた。

 ユーモア小説と言っていいだろう作品に、今も記憶に残る長編小説があった。警察(やくざだったか?)に追われたヘルメットの過激派学生が飲み屋街を走り、福岡・中洲の那珂川に飛び込んで逃げ延びるくだり。タイトルは忘れたが、滑稽に描かれたこの一節が妙に記憶に残っている。書いていて今、思い出した。若者(学生)は中洲の底辺で働く女たちの解放を目指す何たら解放戦線のリーダーの一人だったように思う。

 部屋に寝転んで読んでいた。つい先ごろまで書名を覚えていたのだが、ついに記憶から消えた。記憶だけでなく、彼の小説の蔵書は多くが文庫本だったが、みな旧宅から消えてしまっていた。手元にあるのは単行本ばかりだ。

 冒険小説は「戒厳令の夜」上・下をはじめ「日ノ影村の一族」、そして直木賞作品「蒼ざめた馬を見よ」など多くある。エッセーは、旅・デラシネに基づく思想から編み出した紀行や青春論、人生論と、後年に花開いた仏教思想に基づく終活論や幸福論。私はデラシネまでは読書に没頭できたが、仏教を語る五木が五木ではなくなったように思え、読まなくなった。たしか休筆後の彼の転換だった。朝鮮半島からの引き揚げ体験や、出身地・八女郡での五木少年(青年)の面影が伺える作品に私はこだわった。同様な理由から恋愛小説にも興味をそそられなかった。

 五木の作品を語りたいのではない。語りたいのは高橋和巳のことだ。娯楽小説の道に徹した五木に対して、高橋は明確な純文学作家である。五木を語ることで高橋が浮き彫りになるのではないかと思ったのだ。

 五木は「五木寛之の本」(KKべすとせらーず)の「高橋和巳」の項で、「最近、私が彼の作品に触れるとき、その中にひどく興味をおぼえるのは高橋和巳の屈折し交錯した荘重で悲痛な文体の中に、結果的に現れてくるおかしさ、なのだ」と難解ともいえる文章に、意外にも滑稽味の発見を論じている。.彼のこの発見は、高橋と二人で福岡の学生を相手に講演した際のエピソードで具体的に書いている。

 「女子学生らを前に、とつとつと、ただ真正面からマルクス主義について語り続けている高橋和巳の姿は、私に一種の荘重な滑稽さの印象をあたえー」と綴り、中洲での会の打ち上げで、大酒にも乱れることなく踊る高橋の容姿を「その長大なる手脚をゆるやかに動かしつつ荘重なGOGOを踊っている作家の姿には、どこか講演の時とは逆に悲痛で沈鬱な印象があり、それは高橋和巳が自己と世界とのかかわりあいの中で、混沌たる時代の核を掴もうともがいている影絵のようにも思われたのである」と結んでいる。

 娯楽小説に徹したリアリズムの作家の目による、純文学作家の,身を焦がすような生きざまを捉えた一文と言えまいか。

 信仰を語りながら宗教を描いた五木に対し、高橋は宗教を語りながら信仰を表現している、と高橋文学の核心のようなものが私の頭に一瞬、閃いた。