狂喜する呪われた〝火の鳥〟が長崎市・諏訪神社の神を挑発する。そんなイメージを抱かせる絵画が神社斜め前の広瀬医院街角ギャラリー(ショーウインドー)に展示され、道行く人の目を捉えている。
絵画作品はいずれも1メートルから1・5メートル四方の金・銀箔を施した油彩画4点。神域の神々しさと庶民の町の雰囲気が漂う一帯に、突如現れた〝異界〟スポットのようである。
火の鳥は今を盛りと原色の大羽根を広げ、周囲を睥睨するように目と嘴とをむき出しにして睨みつける。鳥の大羽根を覆う目、目、目…。浮遊するのは吸盤様の目を持つ物体。頭足類の軟体動物の目が火の鳥を守護するように一面に配され、何かに警戒し、怒りを表現している。何かとは何であるか?
雅と滅びと善と悪は、森羅万象の世に不滅の真実。ただ、作家が保存に取り組んできた「瓊子人形」が前面に配された1点には、自身の安堵感が滲む。瓊子人形は作家にとって、長崎の歴史を護る守護神であり、狂気から自身の矜持を護るお守りでもあるようだ。単なる日本人形マニアではないことが、この絵画のテーマから気付く。
平和運動にも熱心な作家である。息の長い運動には浮き沈みがあり、心の疲れもある。だが作家には絵画がある。自身を守護する美を追求する世界。絵画からは作家の心の叫びが聞こえてくる。狂気の火の鳥ではない、自身の過去・現在・未来を守護する尊い鳳凰である。
芸術(美術)は鳳凰。作品に表現されているのは人の善行を司る世界。だが画面ににじみ出るのは〝作家の本質〟彼女そのもの。散歩のひと時、作家(絵画)と語り合うのも面白い。