新年を迎え心改まる行いの一つに、新しい手帳の書き込みがある。心中期すものを秘めてボールペンを走らせる。特別に万年筆を使うこともある。
私はほぼ毎年、「県民手帳」を買っている。安価であるうえ、別冊の資料編が手厚く、お得感があり、別の手帳を手に入れた際にも、制作者の長崎県統計協会に敬意を表して手に入れて、真っ新なまま保管している。
ところが2021年版に異変が起こった。別冊の資料編の付録が無く、手帳そのものの追加ページとして縮刷・掲載している。縮刷といっても手帳の半分近い量を占め、これはこれで別に不便はなく、かえって使い勝手がよくなりそうと、考えた。
追加分は従来と同じ編集で、資料編、名簿篇、生活編の3編に別け、県民・職員の需要の強い項目を掲載したようだ。
ところが、「市町村合併一覧、位置」「沿革・地勢」「長崎県のおもなできごと」などの項目が並ぶ資料編の最後に「長崎県は住みづらい場所なのか?~物価と購入場所からの考察~」などという項目があった。「住みづらい」などと思ってもいなかった私は、決めつけたタイトルに違和感を感じるとともに、詳しい添付資料の掲載ぶりに当事者・県のこの項目の特別な思い入れを忖度した。
「統計」といった客観性が重視される世界に、のっけから反論形式の文体。「物価が高い」という意見を前提に編集している。「住み良さは?」ならまだ許せるのだが…。
項目を読んでみると、今や買い物はネット時代であり、県外が多い。よって、県別の物価指数に根拠を求めることに正当性がない、との認識を訴えていた。ネット社会にそぐわない統計の取り方による誤った認識ーといったような文意。おそらく、多くの県職員がこの手帳を手にしているだろうことを思うと、職員向けの弁論材料として掲載したと理解できる。
しかし、一般人である私には違和感いっぱいの項目。タイトルは「長崎県の物価と背景」でいいではないか。
わたしは当事者ではないが、県の長年の課題である諫早干拓と石木ダムについての統計ー例えばこれまでの投入国費と県費、建設の必要性・根拠、反論側の主張、見通しなどについて県として許される限りの客観性を持って資料編に掲載してほしかった。そうすれば、きっと、もっともっと手帳が県民の間で評判になり、広がっていっただろう。
最後に気になる文章を引用しておきたい。
物価を押し上げている「被服及び履物」について触れた部分。
「2014年当時であっても通信販売・インターネット購入が3・8%となっており、およそ1割強が長崎県での店頭での購入を行っていません」に続けて、「ちなみに、お隣の佐賀県では県外での購入が23・6%(福岡県で購入しているんですかね?)」の件。佐賀県を引き合いに出すのは比較として過ちではないだろうが、出し方と、「?」付きのタメ口が主観的でなんとも、いやらしい。手帳の一般販売を忘れた、同僚たち向けの言葉か。隣県を引用して〝ここまで書くか?〟私は読み間違っているのではないか…と不安になった。
同項目の文章は最後に、店頭価格を基にした物価から「住みやすさ」「住みづらさ」を計る時代は過ぎたのでは? との疑問(提案)を述べて結んでいる。みなさん、どう思いますか。