大晦日の朝です。起床、カーテンを開くと辺り一面うっすらと雪化粧です。いつも寝起きに眺める竹林とマンション駐車場は白い粉をふいたようです。隣の畑は積もっています。
うちの庭も真っ白、玄関に回ると前の道が雪の絨毯です。轍が地のアスファルトを見せる程度の雪ですが。
孫が興奮。ママと一緒に戯れています。雪の時はいつもそうだな、と思い出が蘇ります。
雪は人の心を高ぶらせ、初心に戻らせる力を秘めているようです。
年の瀬の新聞を見ます。コロナ禍で命と暮らしをつなぐ庶民の姿が、若い記者らによって記録されています。これでもか、これでもかと、自助・共助の姿を伝えます。力尽きた人々はどう
年越しをするのでしょうか。言い訳程度の公助が、いつも神棚にまつられたまま、なぜかやり過ごされています。税金はどこへ消えているのか。税の優遇を受け続けている企業の利益は従業員・国民の暮らしの足しになっているのか。
国難に溺れる人々、今こそ公助の出番ではないか、とつくづく思います。記者には公助の分析、在り方をジャーナリストの視線で解析して伝えてほしい。希望はその向こうにあるのではないか、と思うのです。国民は瀕死の状態で、なお生きていてるのです。
国と地方自治体、経済、福祉・医療政策の現状と課題を読者は知りたい。日々伝えるこの苦境を生む根本原因は何か、誰が生み出した、あるは放置した国難であり、誰が解決するべき国難か。ジャーナリストの果敢な追跡を期待してやみません。
真っ白な心で人々の暮らしを見つめ、援護し、苦しめる人には果敢に食いついてほしい。70年代にマスコミに身を置いた無力な老人が、毎日楽しみにしている新聞を見、長与の谷から世間を眺めて、年の瀬に思ったことです。