博多阪急(JR博多駅ビル)の7階フロアで開かれていた美術展「異彩を放つ九州派~それから~」を最終日の8日を含む2日間、泊まり掛けで見てきた。圧巻だった。

 もう30数年前になる。私が福岡勤務時代、長く眠っていた九州派の作品や旧メンバーたちを目覚めさせ、復活させた大規模な「九州派展」が福岡市美術館で開かれた。あの時の感動に似た身震いが今展を見て体に走った。多くのアヴァンギャルドの闘士が鬼籍に入っているが、彼らの遺作が今も、こんなに感動させる力を持っていたのか。九州派は決して古びない、と改めて思わされた。

 九州派作家たちの「美」への探求心、美術への熱意が作品の力を消滅させることなく持続させているのだろう。平面作品の多くが何度も絵の具を塗り重ね、砂なども使い、質感あふれる画面を描出。その濃密感はあたかも作家の肉体と思惟を塗り重ねているようだ。ドローイングから滲み出た自己探索の経緯がマチエールに潜み、語り掛けて来る(例えば尾花成春、山内重太郎)。

 1960年前後、「具体」美術とほぼ同じくして既存の美術団体を糾弾しつつ登場した伝説の「九州派」。展示作品は抽象であれ、具象であれ、反復して描かれた色や線、形が意志を持って訴えてくる。現代美術の先端を走った闘う作家たちらしく、美術とは何か、美とは何かと問い続け、鑑賞者に信念のようなものを突きつけてくる。(例えば桜井孝身、オチ・オサム、寺田健一郎)立体作品も木や鉄といった既存の素材を使ってはいるが、斬新な発想による形や表現で、鑑賞者にそれぞれの時代に生きる意味を問い掛けてくる(宮﨑準之助、米倉徳)。

 九州派結成時の中心メンバーは桜井孝身とオチ・オサムだった。当時の先端を走るアンフォルメル、ミニマルなどあらゆる技法を手掛け、油絵の具や水彩、アクリル、あるいは版画などさまざまな素材で各自の表現を試みている。美術史で、九州派が生み出し、象徴ともされた素材「アスファルト」だが、これを初めて使い、斬新なマチエールを生み出したのはオチだった。その〝功績〟を偲ぶように会場入口ゲートにアスファルトの塊が展示され、「すべてのものが色になる。高価な絵の具など必要ではなく、煤煙、砂、馬糞紙、何でもつければよい」と言った当時のオチの言葉が妻・越智順子さんにより紹介されていた。また、「美術手帖」総編集長・岩渕貞哉氏の挨拶文も掲載、「椹木野衣が『歴史の空白でひたすら眠りこけている』と評した九州派が、『世界』へ向けてついに覚醒するときがきた」などと九州派再検証の必要性が語られ、期待が寄せられていた。さらに「安っぽいマーケティング戦略や理想論に終始する芸術とは無縁の、そして流行とは程遠い骨太の表現をとくとご覧あれ」などとした宮津大輔・横浜芸術大学長の推薦文も、九州派の新しさを認識させた。

 前述の作家のほか石橋泰幸、大黒愛子、小幡英資、菊畑茂久馬、斎藤秀三郎、麿墨静量、田部光子、働正の作品を展示。開催関係者の熱意と苦労が思われた。

 一つ上階の8階フロアでは「Kyushu New Art 」と銘打ち、九州派の血脈を継ぐ作家たちの作品展を開催。「九州に起点、関りのある48名」の若い作家たちの力作が九州の現代美術の今を発信していた。会場入り口そばの壁面に、階下の「九州派展」とつなぐ役目を負うように、櫻井共和の充実したカラフルな画面の「自由で愚かな猫は空を飛ぶ」、森山安英の「アルミナ」の各シリーズ作品が展示され、静と動の二人の抽象絵画が展示作品の中で異彩を放っていた。

 <写真は上から▽会場入り口▽オチ・オサムのオブジェ㊧とアスファルトの塊▽寺田健一郎の平面作品と米倉徳の磔刑を思わせるオブジェ㊨▽桜井孝身の平面作品> 

 開催中の九州派関連展覧会は以下の通り。

 ▽「菊畑茂久馬『絵画』の世界」(25日まで福岡市美術館)▽「オチ・オサム展 言葉の前に」(31日まで福岡市大手門・エウレカ)▽「寺田健一郎」(福岡市六本松・アトリエてらた常設)▽「菊畑茂久馬ー「絵画」へと至る道」(11月23日まで長崎県美術館)