島原半島の雲仙・普賢岳噴火災害の大火砕流から来月3日で29年になります。
198年ぶりに噴火した雲仙・普賢岳が1991年6月3日、自然の脅威をむき出しにしました。大火砕流の発生です。取材陣や消防団員、タクシー運転士、そして外国人火山学者ら計43人の犠牲者を出しました。
噴火災害では、大規模な土石流も襲い掛かり、全国の人々はテレビに映し出される規模の大きさと激しさに恐怖しました。島原市と深江町との境を流れる水無川一帯はまるで〝土石流銀座〟でした。
今では「安中三角地帯」は、土石流の土砂を埋め立てて立派な一大宅地として再生。被災の象徴の地が復興のモデル地区として知られていますが、噴火災害当時、安中地区はその土石流を真正面から受けた地区です。
写真は一匹の白い仔猫です。ブルブル震えていたと言います。撮影地は土石流後の水無川流域。写したのは「新宿歌舞伎町滅亡記」で知られるフォトジャーナリスト梅﨑良さん。
私の島原勤務時代に交流のあったエネルギッシュな写真家です。
写真裏に「97 9・15 梅﨑」とあります。私が3万円で手に入れた日の記録。彼の話では、ジャーナリスト・江川紹子さんと土石流跡を取材していて見つけた、生き残りの仔猫とのことでした。この仔猫は、幸いに猫好きだった江川さんが連れて帰った、と話していました。
土石流を生き延び、震える仔猫。なんだか〝人〟のようにも見えます。大自然の前では人も仔猫も同じ。〝神〟に怯えているようでもあり、不思議な画面です。
梅﨑さんは神を写したのでしょうか。活躍に期待します。