東京在住の美術作家・櫻井共和君から昨日朝、電話が入った。

「日経新聞、見ましたか」

 すっかり記憶からとんでいた。不義理を詫びて、コンビニに新聞を買いに走る。

 中面のカラー見開き「theSTYLE ART」面九州派ってなんだ(上)」の大見出しが踊り、ドーンと絵画写真が数点掲載されていた。共和君の父、櫻井孝身の傑作「リンチ」をでっかく貼りつけ、続いて菊畑茂久馬、田部光子、尾花成春の代表作。

 記事を読むまでもなく、前衛美術家集団「九州派」は関西で活動を始めた「具体美術協会」に続き、福岡県の孝身の住まいでオチ・オサムと二人が図って旗揚げした。では、オチ作品の掲載は? と不思議に思ったが、はたと思い至った。

 九州派関連の作品は海外オークションでもオチ作品が高額で取引されているらしい。九州派の作家たちの象徴的素材アスファルトはオチの発想から始まったのだ。この記事のタイトルも「アスファルトで描け!」とある。来週の連載(下)に、公立美術館所蔵作品あるいは自宅のオチ美術館の遺作から厳選して紙面に掲載されるのだろう。なんといっても、九州派で最高の美術作家だから。

 九州派については、生前の孝身さん、そして共和君から直々に多くを学んだ。

 要は、美術家「集団」とは言うが、なにか一つのドグマを標榜して制作活動を展開したのではない。この日経の記事でも、孝身の言葉として共和君の談話を紹介している。

 「九州派は『派』じゃなくて『素材』だ。『思想』じゃなくて『モノ』だ」

 このようなことも、このごろ、やっと美術界でも定説になりつつある。

 共和君とは、今でもそうだが、飲んで食っては、よく、世間の九州派理解の〝偏向〟を嘆いたものだった。

 80年代、孝身さんはパリから福岡に帰省し、帰国展を開くたびに訪れた私に「共和をよろしくね」と父親の優しい顔を見せていた。私は彼から〝孝身美術〟について深く学んだ。一方で私は、共和君の作品と制作ぶりを間直に見聞。そんな日々を通して、自分なりの理解と認識を深めていった。

 彼ら九州派はただ美術が猛烈に好きな人たち、美術家志向の次代の描き手たち、既成美術団体に飽き足らない現状否定のラディカルな人々であり、その集団のありようは〝友達〟関係にすぎなかった。酒飲みたさに財のある者の家やアトリエに集まり、互いの腕前を自慢し合い、技を盗んだり、けなしたり、そして派手にけんかすることもあったらしい。

 九州派の人々は、60年から70年代にかけての若者たちの持つ気分、純粋な感情を、カッコよく美術という洒落た手段で表現した人々だった、と私は思っている。

 連載記事は「黒光りする素材 廃品貼りつける」「戦後の転換期 暴れ出す生活者」の小見出しで、的確に彼らの美術観の根っこを伝えてくれている。10日付(下)が楽しみだ。

 

 日経新聞の連載(上)右=ギャラリーEMでの長崎初の共和展案内と、左=昨年5月の孝身展案内