「ゆるしてください」と覚えたばかりの文字で虐待父に訴えたが、児相など担当機関の助けの無いままに殺されてしまった女の子の裁判が始まったその矢先、また鹿児島で同居の若い男に女の子が殺された。

 テレビ・新聞は毎回のように事実を刻銘に伝える。私たち読者・視聴者は何度も何度も惨い幼子殺人の手口・経過を押し付けられるように読み・聞きすることになる。

 私は今は、虐待のニュースが始まるとチャンネルを替える。

残虐な行為を、もう見るに堪えない心境にあるのだ。心が病む。皆さんはどうだろう。

 マスコミ自身はもちろんのこと、繰り返される事例で国民誰もがすでに教訓を得たはずだ。

 いたいけない子の虐待死をなぜとめられなかったか。「児相」など担当機関の対応・責任、在り方が明らかになって久しい。

 であるのに、会見では、いつも弁解を報じるだけのような印象だ。これまでの教訓をどう受け止め、どう研究・対処してきたかといった質問が記者から出ているはずだ。しかし、画面や紙面に反映されていないように思える。言い訳を国民に伝えるだけに終わっているのではないかと心配だ。

 私の場合、虐待の事実・経過は一度だけ知らされればいいと思っている。発生をさせた現場役所の仕事の在り方・対応、教訓の生かされ方こそテレビ、新聞で知りたい。子供を救う任務がなぜ果たせなかったのか、その原因。繰り返された教訓をどう活かそうと努力しているのかーをこそ伝えてほしい。

 もう、幼子がどんな暴力を受けて、どのように殺されたかを見たいとも読みたいとも私は思わない。つらい。

 知りたいのは、職責を果たせなかった背景の掘り下げ、そして教訓を生かす努力をしている担当機関の姿、先進自治体のリポートをこそ、見たり読んだりしたいものだ。

 これこそ死んだ子の弔いであり、私たち祖父母世代の希望だろう。