成夫の心の片隅には常に勇がいた。母親は違うが実の兄には違いない。幼い頃から、父は勇とその母親、栄の生きる手立てを身を挺して保証してきた。成夫や母のことはさておき、急に目の前から消えたかと思うと、父は二人の元に走っていた。気の小さい母も、いやそんな母だからか嫉妬に狂い、成夫も父を父親とは認めない決心をした。父はそんな家族を咎めもせず、ただ成り行きに任せ、栄と勇の世話に心血を注いでいた。

 勇は、自身の出自に絡む問題をどう解決し、この年まで生きたのだろうか。会った時は、話題にせず、近況を出し合うだけだった。今思うと、自分との会話には、この話を上せないよう避けていたようにも思える。

 前略

 成夫さん、先日は遠路はるばるおこしいただき、おおきにありがとう。満足な接待もできずに早々に帰してしまい、じゅんさいな人やと思われたかも知れません。そうどすな、あの日、私は成夫さんと会えるだけの気持ちの整理が、あんじょう出来ていなかったようです。母とは、悔恨の日々が未だに続いています。

 また機会を見ておこしください。  

                                                       早々

 成夫は、京都市の消印の押された葉書を何度も見つめ、読み返した。

 「悔恨の日々…」成夫の頭に何かよぎるものがあったが、すぐに胡散霧消してしまった。

 実は、会社の来年のカレンダーの絵を、勇にお願いしようと考えていた矢先だった。西陣織の意匠の小品を大胆にアップリケした大判の月めくりカレンダーである。京の絵を工場とショールームに置き、勇の意匠をカレンダーにする。金は掛かるだろうが、何か罪滅ぼしの気持ちが成夫を動かすのだった。

 ソファーに横になり、もう一度、葉書に目をやった。「悔恨の日々」とある。なぜ勇が悔恨せねばならないのか、それが分からない。

 カレンダーの依頼で、いずれ勇に連絡をとるだろう。その時に心の内を測ってみることもできよう。成夫は、勇の「悔恨」の疑問を脳裏に仕舞い込んだ。勇の心に差し込んだ闇との確執に思い至る契機を成夫は失ってしまった。