勇との懐かしい会話は、成夫の平素の嫉妬、悪感情を宥めてくれた。穏やかな気持ちを芽生えさせていた。
栄親子の思い出話は父の所業であれ素性であれ、見えない部分を暴いてくれたわけではない。
成夫も「もう、いいではないか」とふと思うのだった。
父が妾を持っていたことを嫌悪しているわけではない。栄さんや勇さんに何の責任があろう。父の家族愛を問いたいのだ。成夫や母をおいて、京都の二人のために、父はどれだけの金銭を注いだか。
成夫には、身を粉にして働き、暮らしを支えてくれた母がいた。
小柄な母だった。その歩く姿や身振りや笑顔。子供らをよくも育て上げてくれたと思う。
その母がある日、無造作に台所に突っ伏して咽び泣いていた。成夫10歳のころ。
そののっぴきならない場面は50年を過ぎた今も映画の1シーンのように脳裏に残っている。
母はその時、手に一枚の紙切れ握っていた。成人して後に、ある人に聞いたことだが、父宛ての栄からの恋文だったというのだ。
農家仕事、山仕事、家事手伝い、乳母……母はなんでもこなした。父の評判を支えていたのは母ではないか。母あっての父だーそんな思いが50年過ぎた今も成夫の心に動揺をきたす。
そんな父から継いだ自動車工場は今や三代目の息子がまわしている。息子は自動車工場に新車販売の展示場を併設して業態を拡大し、どうにか維持している。今は相談にくることもなくなった。
修理工場のAI対応は早くに設備しているが、コンピューターという名のドライバーに乗せてもらう時代の精密機器である。点検にも精密さが求められ、頭が痛む。
自動車販売となると、それこそ日進月歩。コンピュータ制御の高度化に知識がついていけない。この田舎町のことだ、仕組みを理解できないままに購入して乗り回す高齢者の多いこと。息子は、将来をどう考えているのだろう。
このごろは更に面倒な注文を受ける。オートマチック車から昔のマニュアル車に買い替えたい、と言う高齢ドライバーが増えた。大事故を防ぐ一つの方法ではあろう。しかし、成夫はなんだか運転時の急変に「御破算に願いましては」とクラッチ任せすることにも賛成できない。やっかいな現場から身を引いてよかった、と自身を慰める一方、兄・勇の友禅職人としての充実ぶりを羨ましく思うのだ。