兄、勇の働く機織り作業場は鴨川べりにあった。
加茂西陣工房と看板を掲げているが、小さな2階建てモルタル造り。「工房」といった佇まいは伺われなかったが、その建屋には規模を大きくしようとする気概が感じられた。
成夫は広い堤防を降りて、道の両側の川風に揺れる雑草に迎えられるように工房に向かった。
栄からは、勇は今も変わらず西陣の高級織物工房で働いていると聞いた。
成夫は、勇の仕事への謙虚な姿勢が意外だった。若い時分、酒浸りの随分荒れた怠惰な生活が続いていたと栄から聞いていた。だが、西陣織の師匠に出会ってから、人が変ったように一途な生き方を見せるようになったという。一筋の道をたんたんと歩いてきたようだ。
彼と会うのは10年ぶりになろうか。「ごめんください」と、遠慮しながらドアを押した。カウンターの女性が応対した。用件を話すと、窓の向こうに織機を扱う織子たちの背中が見える工場に姿を消した。
栄の話では、勇は織物の意匠を制作していると聞いた。確か以前に会った時は、制作のあらゆる工程の手伝いのようだったが、デザインを専門にしたのだろう。
作務衣姿で彼は作業場から現れた。手描き友禅の職人然とした姿。我々と世界を異にするアーティストを思わせる風情だ。西陣織一筋の生活ぶりに兄らしさを感じるとともに、なぜか嫉妬に似た感情も湧いた。
「おいなはい」感情を露わにせずに勇は落ち着いた顔つきで声を掛けてきた。
「やあ、勇さん。お元気そうで」私は、戸惑い気味に応答した。
案内されて応接室に入った。小さなテーブルを挟んで相対した。
「10年振りですかねえ」「さよですか。ま、おこしやす」………
「仕事どうですか」……「ぼちぼちですわ」気まずい空気が狭い部屋を満たした。
成夫は、訪問が間違っていたのか、と一瞬とまどい、茶をすすった。
コップを置くと気を引き締め、勇の近況だけはしっかり聞いておきたいと家族のことに話題を進めた。「せつろしいほど、あんじょうにしとります」顔の表情に変化はなかった。
勇は、妻が数年前、重い病を克服したことをとつとつと話した。続けて、2人の娘が京都の大学を出て、姉は地元の呉服問屋の長男の下に嫁ぎ、妹は東京の商社に就職したばかりと話してくれた。
勇は終始、伏し目がちだった。
成夫は気まずい間を埋めるように窓に目をやった。何かのコマーシャル用か、幟が数本、風に流れていた。目に鮮やかな原色の点描による柄。まるで現代美術ではないか。そんなことを思いながら見とれていた。と、勇が「きょうびの人は、かないまへん」とポツリと吐いた。錦織の意匠という。
成夫は京の新作展の作品群の存在感を改めて思い返した。