私は古火鉢を支えに端座した栄おばさんに、にじり寄り、知りたい、知りたいー、と叫びながら栄の細い膝を両手で揺すった。栄は表情を変えることなく、無言で不動の姿勢を保ったままだった。知りたい、知りたい、知りたい…。
私は毛布を押しのけて起き上がった。寝汗に体がじっとりと濡れていた。うなされていたようだ。飲みすぎたなあ、と独り言ちた。〝それにしても、なぜ兄を死なせたのだろう〟
斎藤茂太著「長男の本」が枕元に落ちていた。兄弟の葛藤と長男の苦労をユーモラスに綴っているが、成夫の気持ちを逆なでする内容だった。
小旅行の読書にと娘が薦めた本だったが、寄りによって…と娘の意図が読み取れなかった。
「カイン・コンプレックス」ー兄弟間の嫉妬と対立。ギリシャ悲劇のテーマの一つと書いている。
一時の感情は恐ろしい。兄の自裁を無意識に望んでいるような自分が怖くなった。
栄は、私の問い掛けに思いを巡らしながら、とつとつと語ってくれた。父の思い出は、今となっては他人事のような語り口だ。まるで子供たちに昔話を聞かせる老婆といった風情である。
互いの立場を踏まえたうえでの男女の関係。月に一度の小旅行が楽しかったーと目を細める。
そして30半ばを過ぎて子を身ごもった。父や周囲の反対を押し切って栄は兄を生んだ。
「ほしかったんえ。あんじょう、育てるさかい言うて、泣いて」
父も折れたのだろう。兄は父と栄との愛、いや関係の証としてこの世に現れたのだ。
ほどなく栄は下関から京都へ逃れるように韻逸したのだった。