焼酎のキャップをひねり蝉しぐれ モノクロの裕次郎手を振る

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こんな1首が浮かんだ。

 家族一丸になって働けば満足な暮らしができた時代。仕事も充実していた。

今、こんな短歌もどきの短文がなぜ浮かんだのか。当時と同じ心持ちにあるのだろうか。

 バブル時代と今は背景が全く違うのだが、今の安定した暮らしぶりが当時の記憶を蘇らせたのか。あの頃の行きつけの喫茶店で観たテレビ画面の風景である。  

 

 喫茶の向かい側は町役場だった。いつも情報を仕込みに訪れた後、この広い喫茶の角のテーブルで原稿の下書きをしていた。役場前の広場では毎年夏、蝉が繁殖した。

 このテレビ画面はその時に映し出された風景。石原裕次郎が大病の手術を乗り越え、病院屋上からファンに手を振る場面だった。田舎町のこと、少ない客とマスターも一緒に観ていた。

 

 記憶はまことに気まぐれだ。何かの折にふと脳裏に浮かんだと思いきや、すっと消えてしまう。その時々の状況が脳裏の底から蘇らせ、また消滅する。そして記憶はとても愛しい。 

 

 まだ這っていた幼い頃、囲炉裏の鍋に手をかけて甲を大やけどした。幻燈を見るように、その時の号泣の様子が思い出され、熱湯の痛み蘇る。ギャーと叫んだ私は白い産着姿だった。

 しかし、叫ぶ自身を自分が観ることはできないはずだ。なのに映像が記憶として浮かび上がる。記憶はその時々の都合に合わせ、脚色されて思い出されるようだ。

 やけど跡の皮膚のつっぱりは、私の引っ込み思案な性格を助長した。青年期には片手をポケットに隠す癖もついた。ぺんぺん草のように粗い毛も甲に不自然に生えていた。

 だが50歳を過ぎたころ、その引きつりが年齢による皮膚のたるみにまぎれて不明になった。

 とともに、囲炉裏の出来事も私事とは思えなくなり、騒動の目撃者のごとく語る出来事になった。事実だったはずだが…。親や祖父母から聞いた怖いお話ではなかったか…。

今となっては確信を失い、遠い過去のお話になった。

 ただ時たま、じっと手の甲を見つめることが多くなった。醜かった甲が懐かしく思えるようになったのだ。不義理のままに永別した両親や故郷の想い出に浸るその時々の証として、今は手の甲がある。この原稿を書く間にも、ふと甲を見つめてしますのだ。