作家青来有一の久しぶりの物語を読んだ。このところ宗教と原爆をテーマに彼の精神史をたどる論考のような作品だったが、文学界5月号「珊瑚焦の外で」、すばる9月号「フェイクコメディ」は彼の持ち味ともいえる「長崎の記憶」に根差した内面の物語。構想力が生かされた面白い小説だ。

  「珊瑚礁の外で」は、認知症の母親をかかえた主人公の苦闘が描かれる。周囲の外国人や親戚の悪意に満ちた振る舞いに翻弄され、珊瑚礁の外、すなわち海溝の闇に落ちそうな体験と同様の恐怖を感じる。彼ら彼女らとの生活上の境界は、海溝の深みの入り口と同じ。危機はそばにあるということ。しかし、ある夜、痴呆症の母から金をむしり取る遠縁の女が、階段の窓から主人公を覗き見ていた。何をしてるんだと怒鳴るが表情を変えることはない。ぞっとして、よく見ると…。

 「フェイクコメディ」はトランプ大統領が長崎原爆資料館をお忍びで訪れる話。あまりに突然で、本国の情勢を考えるにやっぱりトランプのそっくりさんだろう。いや本物かもしれない。そして、ついにやってくる。主人公の私は館長であり、先導せねばならない。そもそも、彼は原爆の脅威を知るために来るのか、威力を確認するために来るのか。さあ、どう彼に説明し、説得するか。

読んでいるうちに、本物か、そっくりさんか、どっちだろう? との思いに意識が奪われて結末が気になり、テーマからずれてしまう。だが、さすがに青来。この出来事の実態は…。

 

 2編ともミステリアスな展開にも、長崎という原爆被爆の土地の声を意識したプロットが生きる。そして、どんでん返しのような結末が起承転でわだかまった気持ちを洗い流してくれる。現代の民話「てれんぱれん」のようなユーモアが2作ともに生きており、次回作がもう楽しみである。