秋葉原幻想 | とれすけのブログ

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 もう何十年ぶりかで秋葉原駅に立つ。駅前のヨドバシカメラには何度か行ったことはあったが、街として歩くのは実に久しい。電気街口を出ると、さっそくatreなるテナントビルが目の前に飛び込んで来る。一昔前の、男ばかりのむさ苦しい雰囲気とは一変している。

 私が秋葉原に行くようになったのは、最初は中学生くらいの時か。電気工作の真似事でスピーカーやアンプのジャンク基盤などを漁っては何かできないかと、街を歩いていた。この頃の秋葉原はオーディオの街だったように思う。
 その後、ギターを始めてからは、エフェクラーの自作、ケーブルの自作など、少しでも安くシステムを作ろうなどと、雑誌片手に歩き回っていた。当時、常連だったのはガード下のパーツ屋さんで、ここでほぼ用が足りた。色々なアイデアを胸に、堀出し物に出会いつつ、この街を歩くのが楽しかった。
 就職して、自作からはなれ、今度はパソコン関係のお店に通うようになった、この当時はソフマップを始め、大型パソコンショップが乱立して、レアなパーツを求めて町中を歩いたものだ。
この時はパソコンの街だったね。

 今はどうか。出迎えて来るのは、巨大なアニメの看板である。町にはコスプレをした少女たちが客引き、ビラ配りに立ち、集まるもの達の目的も大半はそこだ。ホビーの街というのが近いのだろうか。歩いている男性の雰囲気は、昔とそう変わっていないように見えるが、圧倒的に女性の姿が増えた。彼女らも、目的は男性と同じようだ。しかし、街中でいいおっさんが案内の女の子にやに下がっている姿を見るに、皆淋しいのだなあと思ったり。私には決して居心地のいい街ではなくなっていた。昔は、そこに本物があり、皆本物を求めてやってきていた。しかし、今はニセモノ、を皆ニセモノとわかって群がっているような気がする。そして、本物が駆逐されていってしまっているのではないか。ニセモノが本物になることはなく、いずれは何も残さず消えてゆく、という姿が目に浮かぶのだ。

 今回、秋葉原にはメーター売りのケーブルと、いくつかのパーツを求めてやってきた。
ガード下のパーツショップも、まだ健在のお店があって、目的を達する事ができたが、お店の数はやはり減っていて、淋しさを感じる。

 特定の趣味の人間にとって、秋葉原は聖地とも言える。私にとってもここは特別な場所である。
それが、一色に塗りつぶされるような、つまらない街になってしまわないことを願ってやまない。