都知事選挙の掲示板は14000箇所あった。
ニュースで見たのだが、36歳の野間口候補は何と自転車で掲示板を回り、1人で貼っていた。アプリで掲示板の場所を確認しながらの移動だったが、道迷いもある。また剥がれないように粘着力の強い糊を使うし、真っすぐに貼らないとならないので、貼る手間も掛かったであろう。
1日に貼れたのは70箇所。このペースだと200日も必要だ。告示日から投票前日まで17日間しかないのだ。野間口氏への投票は結局1200票弱に終わった。
彼だけに限らず、他の選挙でも掲示板が空白になっている候補者は多い。人員が不足していて主要地点しか回れないからだ。その意味で強力な選挙組織を持つ既成政党の候補者は非常に有利である。掲示板を廃止(或いは大幅に縮小して)してネットで顔見世した方がいいというのも一理ある。
掲示板制度の歴史は意外と新しく、1950年の公職選挙法制定からだ。それまでには町のあちこちに勝手に貼られ、各陣営がライバルのポスター剥がしなど平気でしていたと聞いたことがある。だから選挙運動の公正性と透明性を確保するために掲示板制度が出来たのである。
今の時代は、技術的にはネット投票もネット掲示板も可能であろう。それが出来れば税金で賄われる選挙のための費用を大幅に下げることが出来るし、組織力の弱い候補者も既成政党の候補者と対等に戦うことができるかもしれない。
だがネットの大海の中でどこに掲示板があるか分からない人が多くて、殆ど閲覧されないことが考えられる。人はよほど気にならないと検索などしないものだ。その点、道端にある掲示板は自然と目に入る。最低限必要な情報である名前、顔写真、キャッチフレーズが分かる。要はTV番組の間に流れる30秒広告のようなものだろう。
広告だって繰り返し流して商品を認知してもらうように、選挙ポスターも多くの場所に貼られるからこそ、有権者は一日に何度も目に入る。検索して情報を探すのはその次の段階なのだ。
税金の無駄遣いという批判の多い掲示板制度なのだが、ネットはそれに代わるまでには至っていない。
大組織が有利なのは確かではあるが、ハードルを下げ過ぎると自分の店を宣伝する人、yotuberなど、目的外利用をする人達を呼び込んでしまう。もし供託金を10万円にしたら、都知事選挙に500人ぐらい立候補したと思いますよ。
こういう議論は訴訟の世界でもある。訴訟費用が安すぎると濫訴合戦で裁判所の処理能力が追い付かなくなり、結果として裁判の質の低下、治安の悪化を招いてしまう。身体がぶつかった、後輩に注意した、生活音が聞こえた、借金の返済が1時間遅れた等で直ぐに訴えられてしまいますからね。