東京都第15区補選においては、選挙における言論の自由が問題になった。
つばさの党は言論の自由を盾に取って明らかに妨害行為をしていた。では言論の自由はどこまで許されるか?
難しいことはさておき、食べ放題の店のお代わりの自由を例に取って考えてみよう。
食べ放題の店では、何をどれだけ食べようが自由である。
だが特定の人が牛カルビのみ集中的に食べ出したらどうだろうか?
店の在庫が無くなり、他の客が食べたくても食べられなくなるし、店も大赤字だ。店は低単価の食べ物と合わせて食べて貰うことで原価率を抑え、利益を出す仕組みを取っている。
この客が連日、やってきて毎回、牛カルビのみ食べれば、他の客の不満が高まり、来店者数は減り、倒産してしまうかもしれない。
なのに彼が何を食べようが、お代わりは自由だと主張したとすれば・・・・
正に寛容のパラドクスだ。寛容な社会ほど利己的な人が参入し、寛容な人を排除して弱肉強食の社会になってしまうというオチだ。