経営コンサルタントの打越祐さんが書いた本を読んでいる。
打越さんは東大法学部を卒業し、総合商社の兼松江商に入社し、31歳で総合スーパーのダイエーに転職、常務取締役まで上り詰めた人である。
彼は41歳でダイエーを退職しているので、30半ばで取締役、後半で常務取締役になったと推察される。
といっても彼が特別だった訳ではない。1980年代前半、ダイエーの売上が単体だけで1兆円を超えても、役員の平均年齢は40代前半であった。30代の役員が何人もおり、この年代でグループ数兆円企業を動かしていた。
では彼らはどのようにして偉くなっていったか?
意外と生え抜きは少ない。生え抜きだと、ヒラ店員→売り場主任(部門責任者)→フロア長→副店長→店長。ここまで行くだけで最低10年はかかる。イオンモールの入口に貼られている店長・副店長の顔写真を見ると50代半ばぐらいの感じが多いので、当時の昇進の早さが分かる。
店舗が大きいので、店員だけで200人以上いるし、専門店の従業員を含めると300人を超える。
だが店長といっても本社の課長職よりも下なのだから、課長、次長、部長、役員と道のりが長い。
従って成長業界の会社では外部から管理職をスカウトすることが多い。打越さんも恐らく本社の次長職ぐらいで入社したのであろう。
本には彼の商社時代の履歴が出ていたので紹介する。
経理部計算課・・・触れたことのないソロバンの特訓をやらされ、膨大な伝票から日計表を作らされた。
↓
資金課・・・毎日割引手形を持たされ、銀行に行き、手形を割り引いて現金に換える。
↓
外国為替課・・・信用状、船積書類の書き方を覚えさせられた。
↓(ここまでで1年)
受渡課・・・船荷の検査。沖合に浮かんでいる船に乗り込み、荷物が書類通りあるかを確認
↓
営業部・・・5年目にして商社マンらしい取引に従事する。その後、実績を上げて課長になる。
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高度成長期とは言え、30手前で課長になっている。東大法学部卒業、総合商社入社というと、超エリートだが、初めは地味な仕事が多かったことが分かる。ただ若いころに計数を鍛えるように会社が人材養成している。
心弱い人ならば、1年目で伝票やらソロバンやらやらされて、嫌になって退職したであろう。でもこういう基礎の上に専門性のある商社取引があることが分かる。
ダイエーは大企業であったが、現場上がりの店長よりも他業界で組織運営をやっている人を重用した。実はユニクロも同じことをやっている。