親ガチャ | 猫好きのブログ

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資格試験とその応用

 ひろゆきが親ガチャを口にすると一気に言葉が広がったような気がする。

 

 羨ましいデスネ、ずるいデスネ。

 

 でも親ガチャは突然降って湧いたわけではない。

 

 昔のことが書かれた本を読むと、代々職人、商店、医者の家なんて普通に出てくる。考えてみれば当然だろう。手近な場所で親の仕事を見ることが出来、技能教育を受けられるわけだから。

 

 例えば商人の息子だと、親に〇〇商店に修行に行けと命令される。そこで仕事を覚え、実家に戻り、今度は親の片腕となって働き、親の引退と共に商店主を世襲する。

 

 昔でも大学に進んだり、好きな職業を選ぶために家を飛び出す人もいたであろうが、技能・取引先を継承できる跡継ぎの方が遥かに安定している。ましてはそれが自分の好きな分野なら猶更であろう。

 

 では何故、親ガチャが今頃出るのであろうか?

 

 それは組織に勤めるのが当たり前になり、子供の同質化が進んだことが大きいと思われる。同質化すると、異業種・異職種ですら比較の対象となってしまう。

 

 社会保険労務士と公認会計士は何の関係もないのだが、あたかもどちらが稼げるとか、社会的地位がどちらが高いとか。序列の高さが注目され、序列が高いと承認欲求を満たすわけである。

 

 また大企業・中小企業の格差も同様だ。大企業社員は勝ち組、中小企業は負け組のようにこれまた比較の対象になる。

 

 まあ、ある意味、職業選択が自由になったことが大きいのだろう。昔は選択肢が限られていたので、そこで必死に頑張るしかなかった。その継続が実になって地域の名士になっていった。

 

 今の時代は、何でも選べるし、どんな情報でも入手できる。例えばネット以前の時代だと、国立国会図書館職員になりたいとか、造船技術者になりたいと思っても、近くに知人がいるか、事業所でもないと殆ど分からなかった。

 

 他方、ネット時代になると、情報を入手できるだけでなく、双方向的に現役・経験者とやり取りすることも出来る。

 

  こうしてオープンになるほど、職業選択肢が広がり多様化する一方で、人々がネットワークで繋がる結果、同質化が進み、同じ土俵で比較されるようにもなる。

 

 これは大学の偏差値と似ている。本来やりたい分野のある人にとっては、他はどうでもいいのだが、数値で表され、序列までされてしまう。

 

 話を親がちゃに戻すと、特定の職業と親ガチャとは関係がある。オープンで特定の職業に人気が集まりやすい分、最短距離で進めるルートを用意してくれる親の差は大きいだろう。

 

 経済力があるほど、職業の選択肢は更に広がるし、教育熱心の家の子だと家庭教育で差が付く。親のレベルが自然と子育てを通じて子供に吸収されるからだ。こうして当たり親の子ほど職業選択に有利になる訳だ。

 

 勿論、これは一般論であり、個別性があることは言うまでもない。