東京夜時

東京夜時

宇都宮秀男によるコラム。月木更新。

Amebaでブログを始めよう!
皆さま、新年、明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

さて、2020年から東京夜時がnoteに移行します。
こちらからそのサイトに別ウィンドウでジャンプできます。

https://note.com/tokyoyaji

アメブロさんには長きにわたって大変お世話になりました。

またこのブログにお付き合いくださった皆さんにも
心から御礼を言いたいです。

本当にありがとう。

noteの最初の投稿は少しだけよそ行きの格好をしています。はじめての人を意識して書きました。まだ慣れません。

それはきっと、これからナチュパラのことを初めて知る人も増えるだろうということを見据えての投稿になります。

ブログというのは読まなきゃいけないものでもないし、
読んでいることをわざわざ報告する必要もない
極めてプライベートで小さいメディアです。
多くの友人や仕事関係の人がこれまで読んでくれていました。

だから友人に語りかけるような気持ちでいつも書いていました。

noteは果たして自分の色をどれだけ出していけるかわかりませんが、
気軽に身構えずにトライしてみようと思います。
次ももちろんわざわざ「読んでるよ」とか「ご丁寧な感想」とか仰っていただく必要はありません。

気が向いたら気楽に遊びにいらしてください。

最後に2020年という年が
あなたにとって良い年でありますように。

今年もよろしくお願いします。
実家に帰省した。

父と初めてゴルフを回る朝は、とても穏やかで暖かった。


「10年ぶりにゴルフをする」と言いながら父はど頭からかっ飛ばした。


10年前に父からもらったゴルフバッグをもって、2人でゴルフコースを歩く日が来るとは思わなかったが、父親と何かスポーツするというのは、こんなにも楽しいものかと思った。

最後のホールでうまくパターが決まった時、
「終わりよければすべて良し」と父は喜んでくれた。

それはミスショットを繰り返す初心者にとって、最も救われる言葉だった。

      ✳︎

年の瀬は別府杉の井パレスの中にあるジムで運動したり、走ったりしたあと温泉に入り、
別府公園にできた新しいスターバックスで仕事をしたりした。


大分駅前では年の瀬になると、商店街にこたつを出してみんな入り混じって飲む。


在京大分県人会の人たちと飲んだとき、ナチュパラのことをすごく推してくれた人がいて嬉しかった。

どこかに見てくれてる人がいるんだなと思った。

そして中学時代の同窓会にも行った。

滅多に大勢の飲み会には参加しなかったが、ふと今年は参加したくなった。19時に始まって3次会が終わったのは朝5時近くだった。



カラオケも誰にも気兼ねなく、みんなにとっての共通の青春の歌を歌った。

小学生の頃、僕が同級生の友人に山根康弘の「Get Along Together -愛を贈りたいから-」を相当推してCDを買わせたらしく、
その友人のリクエストでこの曲を一緒に歌った。長い年月を超えて歌でもう一度僕らはつながった。



僕らはみんな同じ学校の先生のもとで教わりながら愚痴を言いながら平等に歳をとっていた。
青年と呼べる年ではないが、みんな元気でパワフルだった。

いや、そういう人が同窓会というものには参加するものなのかもしれない。

どんなに遅くまで飲んでも翌日の朝早くから子供のお弁当をつくるママさんとかもいて、みんなそれぞれの人生を生きてるんだなぁとしみじみ思った。ずっと大分から離れない人生もあれば、僕みたいに飛び出した人生もある。

そこに成功とか負け組とか、誰かと比較をするような雰囲気や言葉はなかった。

みんなそれぞれに喜びがあり、苦労があった。

楽しいことばかりでもないが、つらいことばかりでもない人生を謳歌していた。

      ✳︎

中でも中学時代に仲の良かった友人Eくんと15年ぶりに再会できたのは嬉しかった。

彼とは共通の友人と3人で中学時代にコントビデオを、家庭用のカメラで撮ったりしていた。

今思えばそれが動画制作の一番の原点だったかもしれない。

僕がプロデューサー兼カメラマンをやっていた。三脚がないから、面白すぎて僕が笑うとカメラを持つ手が震えてしまい、僕のせいでよくNGになった。

でもあれが楽しくて仕方なくて、今でもその時のネタは覚えている。

Eくんは地元のテレビ局の編成局で課長として、また番組のプロデューサーとして頑張っていた。お互いに中学時代はテストの成績もトップ10内で競い合う仲だったが、まさか2人ともあの時の遊びの延長が仕事になるなんて夢にも思っていなかった。


人生何が仕事になるかなんて分からない。

でも、純度100%で楽しかったものを大切にして良かった。



ナチュパラのミーティングにはいろんなゲストが参加する。

今週はVook求人で応募があって面談をパスした2人の男性と、ともやくんが役者としてお世話になった女性とその娘さんが参加した。

娘さんは高校1年生で腹話術をする子だった。ナチュパラのこともちゃんとネタにしながらやってくれて面白かった。


できるだけ多くの人が参加できるようにしたいと思いつつも、場所のキャパや、スタッフの濃い議論の場の確保などもあるため模索中だ。

毎回は難しくても一回は誰でも参加できたらという気持ちもある。基本的にはスタッフの知り合いになるけれど、いろんな人が参加して、何か言うでもなく、ただそこにいるだけでいい。

いる、ってことが大事なんだ。

多様性は持続可能性につながると信じている。

昔、ナチュパラと同じビルに住んでいた知的障害の男性に言われたことがある。

「会社を始めたんなら、3億年続けなきゃだめだよ」って。

その言葉が妙に心に響いて「わかったよ」と約束した。会社をつくって3年目にも満たない頃の話だ。彼はもう引っ越してしまった。

けど、ふとした時にその言葉を思い出す。そして少しだけ励まされる。

3億年に向けた創設8年目なので超創成期を僕も今のスタッフも生きている。


ナチュパラでは福利厚生の一環で、隔週オーガニック野菜(たんじゅん野菜のいかす)を配布しているから、写真は農業法人みたいになってしまう。

また最近、タレントの丸山礼さんとTCC新人賞受賞したカヤックの高橋祐司さんお祝い会の様子がInstagramでアップされていた。



丸山さんにプレゼントしたのはナチュパラ特製オリジナルTシャツ。ナチュパラGM馬場敏典くんのデザイン。

彼女が書いてるように、もうすっかり少し前の仕事仲間になったけど、少し前の仕事仲間もゆるくそのご縁を大切にしたいと思う。

だって、3億年を前にすれば、少し前なんて、ほとんど今と同じなんだから。



ご当地ゆるスポーツというものがあり、
企画主催の澤田智洋さんにお招き頂き、
最終決戦を観覧・参加してきた。


公式ページはこちらhttps://yurusports.com/sports/gotouchi

たとえば大阪なら「たこ焼き」と「野球」をひっかけて、「タコヤキュー」という競技。

誰でも参加できるように、ピッチャーは大きなボールを転がして投げる。

(ピッチャーともや)

そしてバッターがボールを打って、守備が打たれたボールをホームベースに持って来るまでに、攻撃側のベンチではひたすらたこ焼きをひっくり返す。


ボールに可愛い顔が描かれており、それが見えるまでひっくり返せばオッケー。

(実際は手でひっくり返すのではなく、本物のたこ焼きピンでひっくり返すから難しい)

3人の攻撃ベンチでボールがひっくり返った数の合計が点になるという仕組みだ。

他にも小学生が考えた横浜の名物“シュウマイ”、 名産の“小松菜”、 そして、 “ポートボール”、 “タグラグビー”を融合した、「ポートシューマイ」は面白かった。


僕らも参加して勝利をおさめた。ゆるくてもやっぱりスポーツはチームで勝つと楽しい。

偶然何度も一緒のチームになった作家の小松成美さんとはFacebookで友達にもなった。

スポーツによって生まれる出会いも良い。

      *

もともとは澤田さんが運動音痴で、さらに運動音痴という言葉が嫌いなため「スポーツ弱者を、この世界からなくす」をテーマに生まれたのが、ゆるスポーツだ。

そこにご当地の魅力発信も加わるのが、ご当地ゆるスポーツ。

異なるものを掛け合わせることで新しいものを生み出す。それはまさにナチュパラも目指したいスタイル。



最近、地域創生だとかでいろんな自治体がPRに躍起だけれど、
やっぱり受身的に情報を与えられるだけでなく、「体験」がセットになると特別な思い入れが生まれる。

僕らも最初は5組のプレゼンを聞いただけで、それなりにプレゼンの優劣はつけられるし満足はしたものの、やはりやってみるとプレゼンの良し悪しとは関係なく、それぞれのスポーツに楽しさがあった。

結果的にはプレゼンが一番上手くなかったチームのゆるスポーツが優勝した。

逆を言えば、自分の目で見て、やってみて、ふれてみるといような体験をせず、プレゼンや見た目だけでは本質は判断しづらいということだ。

まずは、気になったら、やってみよう。

動画も動画だけで完結させるのではなく、もう一つ体験とか何かがセットで考えると、新しいものが生まれる気がした。
ユーチューバーが小学生のなりたい職業ランキング1位になったとき、
最初の頃は少なからず驚きをもって受け止めた。

僕が小学生の頃は、プロ野球選手やパイロットが1位をよく占めていた。

大人になるにつれて「現実味」を考えるものだが、そういう意味では、この小学生のランキングは「憧れる仕事としての純度」は高いものがある。

あるテレビタレントがこう言って非難を浴びた。

「ユーチューバーにちゃんとしている人います? 騙されてますよ」

感情論は置いておいて、ユーチューバーが流行からメインストリームに変わる日はもう遠くないのではないかと思う。

ユーチューバーのHIKAKINさんがパイオニアとなって、まさに非課金で映像を楽しめる潮流を生み出した。


お笑い芸人がユーチューバーになる流れも好きだ。キングコングの梶原さんは、漫才の大会で心身を消耗している印象が強かったがここでは伸び伸びしている。



個人的にはオリエンタルラジオの中田敦彦さんのYouTubeが好きだ。ランニングしながらこれを聴くのが最近のお気に入りだ。



昨日も古田くんと話していたがキャンプ動画もいい。

芸人のヒロシさんが出ているが、無理に面白いことを言おうとしない。

無理がないし、ただ好きだからやっているという純度の高さが人の心を惹きつける。



芸人だけじゃない。動物だってユーチューバーになる。



唐揚げ食べるだけでもユーチューバーになる。
これで180万回も再生されている。


そしてだいにぐるーぷはビデオグラファーとコラボして映像をつくっている。映像のクオリティが確かに高い。


ビデオグラファーとは、自分で企画から撮影から編集、モーショングラフィックまで全てやる人だ。

ユーチューバーとビデオグラファーのコラボも増えるだろう。

実際、ビデオグラファーでありながら制作のコツを紹介するユーチューバーもすごく観られている。



今日、Vookの求人サイトから応募のあった19歳の男性と面談してきたが、彼は高校卒業していきなりビデオグラファーになった。

すごくクオリティの高い映像をつくっていて驚いた。機材も自前で揃えて、「稼いだお金を税金にもっていかれるし、借りるより買った方が早い」ということで、URSA Mini Pro 4.6K G2やBMPCC6K、さらにはEasyrig Vario 5+Sereneなど総額400万円くらいの機材を揃えていた。

すべて独学で海外のチュートリアル動画などから勉強したらしい。いつかここでも紹介したい。

彼は「映像だけじゃなく、ウェブやアプリ、システムも自分でつくりたいんですよね」と言って勉強しているらしい。

そういう時代だ。この前のビデオグラファーズトーキョーでも、明治大学や慶應義塾大学を卒業して、どこにも属さずいきなりビデオグラファーとして活躍している人たちに会ったし、社会人としてのマナーや応対も十分しっかりしている。

そういう人がこれからもっと活躍するだろうし、20代前半で年収1000万円プレーヤーも続出するだろうと思う。

ウェブ動画広告はテレビCMからするとその地位を低く見られがちだが、そうではないということに気づき始めている人もいる。

歴史ある広告のTCC新人賞でさえ2017年、2018年はTV CMを逆転した。こういうことが増えていくだろうと思う。

(コピー年鑑2019より。肝心なところが誤植だが、右側がWEBムービーでのTCC新人賞)

カヤックさんとナチュパラで一緒につくったタウンワークのバイトあるあるの動画広告で、高橋祐司くんがTCC新人賞を受賞したが、審査委員の麻生哲郎氏はこうコメントしている。

「WEBだからできたと思ってほしくない。できればこういうものこそ堂々とTVという爆発力がある舞台でやってほしい。有名無名関わらず、愛すべき主人公がいて、商品のある舞台を駆け回っている。このシリーズは新しい人気者を作れる可能性すらあった、みんなが楽しめるものだと思うからこそ、です」

ユーチューバーにせよ、ビデオグラファーのつくる作品にせよ、共通するキーワードは「純粋な楽しさがそこにあるかどうか」ではないだろうか。

楽しんでいる人を見るのは楽しい。
楽しんでつくったものの楽しさもまた

動画を通して熱量の純度は透けて見えるものなのかもしれない。