経験を語り継ぐというのも大切ですし、写真や映像も貴重ですが、一般人の被爆者が体験を描いた絵というのも、伝わるものがあるなあと、いまさらですが思いました。

 

 

 

物語化するとしても、映画でそのままリアルにやると、ダイレクト過ぎるような気がしますし(火傷とか皮膚とか目とか服とか)。

というか出来ないのでは。。。

 

 

絵でもかなりのものですが、ワンクッション置けるような気が。

 

だけど逆に伝わるものがある気がします。

 

 

文章、言葉や声、歌、写真、映像、絵、etc.etc.、人によって何が「伝わりやすいか」が違うので、いろいろな手法があるのは良いことだと思います。

 

 

 

 

 

被爆者の方がご自身の体験を描いた「市民が描いた原爆の絵」を検索できます。主に昭和49年と50年、そして平成14年に収集した絵の中から、公開しています。これらの絵は市民の手による原爆被災の記録であり、核兵器が人間に何をもたらすかを示す貴重な証言です。被爆前の街のようすや市民生活などを描いた「わがなつかしの広島」の絵もあわせて公開しています。画像の利用については広島平和記念資料館学芸展示課(代表電話082-242-7796)にお問い合わせください。

 

 

 

 

英語解説もあります。

 

せっかくだから、Webサイト上でもう少し目立つようにしてもいいかもしれない。と思ったり。

 

 

A-bomb Drawings by Survivors

 

 

The Hiroshima Peace Memorial Museum holds thousands of “A-bomb Drawings by Survivors,” which describe the artists’ own experiences of the atomic bombing. These drawings and paintings, most of which were collected in 1974, 1975 and 2002, are records of the atomic bombing by Hiroshima citizens. They are precious testimonies that illustrate the devastation that nuclear weapons hold in store for human beings. We also have a series called “The Hiroshima We Miss,” a collection of paintings that depicts Hiroshima City and its citizens’ lifestyles before the atomic bombing. For queries on the use of A-bomb Drawings by Survivors, please contact the Curatorial and Exhibition Division (Email: gakugei@pcf.city.hiroshima.jp).

 

 

 

 

作者のコメントは要約(サマライズ)されていて、作品によってはかなり短縮されている。

 

ああ、でも今はスマホで「レンズ」を使ったり、パソコンで貼り付けしたりして、Google自動翻訳なんかで日本語→英語(あるいは各国語)に訳したりできますね。

 

 

 

 

広島だけでなく長崎の原爆の絵も描かれているし、海外に紹介もされているとのこと。

 

 

 

 

 

絵を見るタイプの人にとっては、こういう絵も印象深いだろうと思う。

 

 

 

 

「何だろう?」と思うじゃないですか。

 

そしたら、実は被爆して倒れている馬なんだ、と判るとか・・・。

 

 

 

カラーパレット

 

 

 

絵といえば、マンガもありますよね。「はだしのゲン」

 

海外翻訳もされている。

 

もし、イデオロギーとかいうのが気になる場合は、せめて画学生の政二さんのところぐらいまででも読んだら、直接的な被害を知る役にたつのではないだろうか(1巻~3巻ぐらいまで?)。

 

 

 

 

『はだしのゲン』と父 翻訳者・坂東弘美
初回放送日:2023年8月20日

「はだしのゲン」連載開始から50年目の2023年。それは広島市教委が小学生の平和教材から「はだしのゲン」を削除した年となった。一方「はだしのゲン」は24言語で翻訳され世界で読み継がれている。中国語翻訳を手がけた坂東弘美さんは、日中戦争に出征した自分の父親が中国大陸で行ってきたことを知って衝撃を受け、葛藤を繰り返しながら「はだしのゲン」のメッセージを中国の人々に伝えようとしてきた。その思いを伺う。