<太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。>

 

 

4人に1人ってすごいですよね。

 

 

 

沖縄戦はけっこう長かったんですが、いつからいつまでだったかというと・・・

 

1945年(昭和20年)3月26日に始まり、日本軍の司令官と参謀が自決して組織的な戦闘が終わったのが6月23日。

 

その後も戦いが局地的に続き、正式な降伏調印が行われたのは9月7日。

 

 

 

  • 3月6日
    国民勤労動員令公布
    沖縄県の15歳から45歳までの男女を「根こそぎ」動員する
 

 

「根こそぎ」動員ってすごいな(注:日本の内閣府が書いてることです)。

 

ウィキペディア「沖縄戦」の記述によると<同じく地上戦が行われた南樺太、北千島、択捉、国後、色丹、歯舞、満洲などと同様に、戦闘員としても住民を根こそぎ動員>とのことなので、樺太+北方四島、満州も同様だったんですね。

 

 

 

女子学徒隊はひめゆり部隊が有名ですが、他にもあった。私は瑞泉学徒隊ぐらいしか名前を存じませんでしたが。

 

 

 

 

 

余談ですが、戦後の占領と「本土復帰」、沖縄以外に小笠原諸島なども聞いたことはありましたが、トカラ列島とか伊豆諸島もちょっとだけ日本の施政権から外されていた時期があったんですね。

 

 

 

 

まだ100年も経たないのにいろいろ歴史がわからなくなっているな。昭和の歴史って学校の歴史の授業じゃロクにやらなかったですしねえ。

 

知ろうと思えば市販本を読めるし、ネット上に資料もあるので、知ることはできますけれども。

 

 

 

 

 

イムさんは、当時朝鮮が日本の植民地だったし、故郷の村は貧しいし、どっちにしろ日本に協力しなきゃいけないというので、少しは生活が良くなるかと簡易学校で日本語を勉強し、「徴用」されるよりも半ば自発的に沖縄に行くことにしたんだそうです。

 

 

 

もちろん日本人もですけど、沖縄も本土も、どこの人でも、普通の人が戦争に参加せざるを得なくなるのが戦争なんですよね。

 

やらないほうが絶対いいと思うんだけど。

 

 

現代でも(今海外でやってる戦争でも)そうですけど、政府の上のほうの人は最終的な「戦争責任」はあっても、直接「前線」に行くわけではないからね。

 

 

弾が当たるわけじゃないし、足や腕が吹き飛ぶわけでもないし、飢えるわけじゃないし。