これってどういうことなのかな。
と、分析していそうなものをググッて探してみました。
これは2017年のPDFらしく、以前の調査結果の分析だと思いますが、文科省の資料。
フランスが「刹那的」というのがちょっと笑ってしまいました。解るような気がして。
韓国も少し「刹那的」があるみたい。昔、知り合いが「韓国はアジアのラテン系みたいだ」と言っていたのを思い出した(フランスもラテン系です)。
良くいえば、今を大事にする、here and now と言えるかもしれません。
わかりやすく解説してくれていそうなのがこちら。
北海道大学教育学部で心理学を教える加藤弘通准教授による違う見方。
「日本の若者の自己評価は世界的に見て決して低くない」けど、
日本の若者は「自分は役立つ」と思うほど「自分自身に満足している」傾向が強いことがわかった。そしてこの2つの質問に相関関係があるのは日本だけの特色なのだという。
「つまり、日本の若者は自分が誰かのために役立つ存在だと思えたとき、自分に満足する傾向があることがわかりました。世間では、『最近の若者は無責任、自己中心的』と言われがちですが、とてもまじめな若者の姿が浮き彫りになったと思います」
他にもいろいろ興味深い見方が出ています。
個人的には、「どういう風に答えるべきか」みたいな、各国文化の基準の違いも影響しないのかな、とも思います。
日本文化は「謙虚であれ」が強いと思いますし。
でも日本の場合、役に立つのが良いとされるとすると、役に立たない人間は価値がない、につながりかねない面もあると思う。
それと、人に評価されてこそ自分の価値がある、になりがちなこと。
誰かの役に立とうとすること、社会に貢献しようと思うこと自体は悪くないけれども、「自分の存在価値が人の評価次第」になってしまうと、心理的に安定しないと思います。
人からの評価なんて変化しやすく、ある意味では無責任なものだから。
常に的確とも限りませんし。
私自身はもう若者ではありませんし、歳を取るにつれ自己肯定感を少しずつ上げてきたつもりですが、やはりそういう傾向はある。
自分は全然役にたたねえなあ~と思ってしまうようなことは。
自分以外の人に対しては思いませんけどね、社会の役に立たないならば、お金を稼げないならば、価値がない、とは。
でも、日本の内外で役立つことのできる仕事ができる人(そういう能力や専門知識や技術などがある人)が羨ましいとは思います。
本当は人間の存在価値というのはそういうことに限らないのだと、頭では解ってますけど。
私自身は昭和生まれ昭和育ちだし、自己肯定感を高めるような育てられ方も教育も受けてきませんでした。
特別恵まれた能力もなかったし、自信を持てるようなものは何もなかった。
運動神経も運動能力も良くないし。
国語の成績だけは良かったけれど(英語や社会もそこそこはできましたけど)、数学がものすご~く苦手だから、「頭が悪い」という感じをどうしてもぬぐえない。
親や学校が自己肯定感を教えてくれなかったとしても、自分で少しずつ身につけて行くことはできます。
個人的には臨床心理士による心理カウンセリングだとか本(主にユング系の心理学、小説、スピリチュアル系、ノンフィクションetc.)だとか使いましたけど、別のやり方もあるかもしれない。
自分はユング心理学のいうところの「内向型」ですから友達は少ないほうですけど、家族以外の人との交流も役立ちました。
家族だけが人間じゃないし、家族だけが(そして学校や職場だけが)「社会のすべて」ではありませんから。
「今ある枠の中」だけで考えない。
狭いんだったら枠を広げればいい。物理的に遠くへ行ったりできなくても、内面を広げる・深めることはいくらだってできます。