千葉市美術館にて開催されていた
 
「板倉鼎(かなえ)・須美子」展
 
最終日の6月16日(日)に行ってまいりました。
 
 
 
 
JR千葉駅から徒歩で行きましたが、千葉市美術館に行くのは何年かぶりで、道順もうろ覚え。千葉パルコは無くなってしまったし・・・
 
だいたいの方角はわかっていたので適当に歩き始めたのですが、途中の街の様子も建物の様子がいろいろ変わっていたり。
 
 
※帰り道に思い出しましたが、パルコがあった通りに面した千葉都市モノレール・葭川公園(よしかわこうえん)駅から近いですね。
 
 
 
千葉駅前から千葉銀行やヨドバシカメラがある方面がさらに立派になっていた・・・何事かと思った(笑)
 
2023年1月にTOEICを受けに来たときは、こっち側を通らなかったので知らなった。
 
 
 
他にも、工事中で囲いがある場所があったりすると、ちょっと勝手が違う。
 
 
近くまで行ってから、スマホでGoogleマップを見て確認。
 
だいたい合っていたけど、ちょっとズレてました。ニコニコ
 
 
 
「美術館通り」という道もあるんだけど、そっちじゃないほうから行った。でも通りの両側に並ぶ街灯に「千葉市美術館」という旗が付けられているので、目印になります。
 
 
 
河合楽器の店舗の側から行った。
 
河合楽器側からだと、角を右に曲がると美術館です。
 
(美術館通りを通って来た場合は左に曲がる)
 
 
 
 
曇り空の日でしたが、思ったより天気が悪くなくて良かったです。
 
午前中ですが、ぼちぼち人が入っていました。
 
 
 
歩道にアジサイ。アジサイの季節ですね~。
 
 
 
 
場所は同じですが、2020年にリニューアルオープンしたんですね。
 
 
 
 
美術館のチケット販売窓口で知ったのが、ミレニアムカードを提示すると千葉市美術館が20%オフになる(注:クラブオンカードは除く)ということ。
 
あらー、残念。家に置いてきてしまった。
 
次回行くときは持っていこう!
 
 
※しかもJREカード(JR東日本のクレジットカード)は、新しいのが届いていたのに忘れて期限切れのを持って行ってしまうし・・・駅ビルで土産にパンを買った瞬間に思い出した。買い物するとポイントが貯まるのに、トホホ。
最近、千葉にも電車にも縁遠くなっていたので。
 
 
 
 
ミュージアムショップやカフェは1Fにありますが、美術館の受付は8F。
 
エレベーターで上がって、受付でチケットを購入。
 
 
 
 
 
 
会場の様子が「板倉鼎・須美子の画業を伝える会」というサイトで紹介されていました。
 
 
さて。板倉さんは、鼎(かなえ)さんが夫、須美子さんが妻。
 
医者の息子とロシア文学者の娘(しかもロシア正教徒)というカップルです。
 
鼎は埼玉生まれの千葉県・松戸育ち。千葉に縁のある画家です。
 
 
鼎の妹の弘子さんが兄夫婦の遺した作品を管理していくことになるんですが、少女時代はマンドリンを弾いたり(兄の絵のモデルになっています)、やはりお嬢様らしい感じ。
 
 
 

 

お母さんや弘子さんが描かれた絵、須美子をモデルにした絵など。

今回の展覧会にも出品されていました。

 

 

 

 
鼎の父は息子に跡を継いで医者になって欲しかったので、画業を目指すことには当初反対だったそうです。
 
まあでも東京術学校(東京芸大の前身)に行かせてもらって、やがて知人や親戚の引き合わせで須美子と知り合って結婚し、二人揃ってハワイ経由でパリへ留学することになった。
 
藤田嗣治など、日本人画家や画家志望者が修業にいっていた頃、エコール・ド・パリの時代。
 
 
 
須美子はそれまで在学していた文化学院を中退して結婚(というのが昔らしいなぁと思いました。いかにも当時のお嬢様コース)。
 
ピアノなどの音楽の他、フランス語を勉強していたようなので、フランス行きも良かったんじゃないでしょうか。
 
 
 
のちに鼎から油絵の手ほどきを受けて須美子も絵を描くようになり、鼎も妻の才能に嫉妬したりすることなく応援し、自分も自分のスタイルを確立していく。
 
長女も生まれて幸せそう。
 
 
しかし次女が生後一カ月で消化機能障害のため死去。
 
その年の秋には鼎自身が28歳で急逝。
虫歯・歯槽膿漏からの敗血症、もしかしたら急性心臓内膜炎も、という見立てのようですが、こういうのは現在でも怖い病気です。
 
幼い長女を連れて須美子は帰国。
 
帰国後に松戸の実家で鼎の葬儀、その一か月後に長女が急性脳膜炎で二歳で死去。
 
その数年後、須美子は結核により25歳で死去。
 
 
 
という、本当にそんなことがあったの!?というような展開に。びっくり
 
一家全員お亡くなりになっています。幸せそうな一家だったのに。
 
それが寿命なのかもしれないけど、渡仏して3年、鼎の研鑽も実りつつあり、これから売れ始めそうなところだったので、残念だなあ、もったいなかったな・・・と思いました。
 
須美子も失意の底から何とか立ち上がろうと、帰国後も絵の勉強を始めたところだった。
 
 
 
 
今回は撮影OKの作品が決められていたので、どの写真をブログにアップしようか迷う必要がありません(笑)
 
撮影した人はみんな同じ作品の写真をお持ちのはずです。
 
 
でもね、ほんとは好みの作品は他にあったんですよ~。空や海を背景に水槽の金魚を描いたのが良かったな。
 
 
 
板倉鼎「垣根の前の少女」 
1927(昭和2)年  油彩、キャンバス
 
 
 
板倉須美子「午後 ベル・ホノルル12」
1927-28(昭和2-3)年頃  油彩、キャンバス
 
 
 
 
板倉須美子「ベル・ホノルル24」
1928(昭和3)年頃  油彩、キャンバス
 
 
 
 
板倉鼎「黒椅子による女」
1928年(昭和3)年  油彩、キャンバス
 
 
 
 
板倉鼎「ダリアと少女」
1929(昭和4)年  油彩、キャンバス
 
 
 
 
 
 
会場には作品の他、ゆかりの品々がありました。
 
当時の新聞(フランス語や英字新聞)に載った展覧会の記事、日本やハワイやパリでの展覧会の目録、鼎や須美子から日本の家族や友人に宛てた手紙、などなど。
 
須美子は布で人形作りをしていた時期もあった。
 
 
 
二人の生涯が興味深くて、結局図録を買ってしまいました・・・また散財(散財じゃないけど)。
 
 
 
 
これは鼎のパリ風景の作品のポストカード。
自分もいつかフランスに行ってみたいな~というのを忘れないようにと思って。ヴィジョン・ボード(Vision board)的に。
 
 
(フランスはシャルル・ド・ゴール空港での乗り換えで数回行ったのみ。エールフランスのヒコーキと空港の中だけです)
 
 
 
さて、手軽で実用的なクリアホルダーをしばしば記念に買いますが、今回買ったのはなぜか板倉夫妻でなく鈴木春信(笑)
 
千葉市美術館は浮世絵の所蔵にも力を入れているのです。そして私は春信が好き。
 
 
 
もちろん板倉展のクリアホルダーも物色したのですが、売り場に2種類の名前が書かれているのに実際に置かれているのは1種類・・・
 
そうか、最終日だからもう1つは売れてしまったんだ!
 
言っちゃ悪いけど売れ残り。。。
 
 
たぶん、「ベル・ホノルル12」と「ベル・ホノルル24」で、「12」が売り切れだったと思うのですが、「24」も、上の写真のとおり絵画としては良いなと思うんですが、クリアホルダーとしては申し訳ないけど、あんまり魅力を感じませんでした。
 
 
 
 
ミュージアムショップの話と順番が前後しますが、板倉鼎・須美子展が終わった部屋の次に、彼らと同時代にパリに渡った千葉ゆかりの画家の展覧会がありました。
 
続けてそのまま見学できたので観てきました。
 
 
石井光楓(こうふう)
 
この方は現在の千葉県いすみ市出身。
 
次の記事に少し書きます。