ノンバイナリーという言葉は出てこないけど、

 

「いま『自認する性』は男性ではないです。最近はLGBTに加えてQ(クイア、クエスチョニング)などいろいろなことばが出ていますが、ことばの概念にとらわれない、男でも女でもない齊藤夕眞が今の自分だと思います。

 

 

というのはまさしくノンバイナリーだなあと思いました。

 

 

※ノンバイナリーについて。

 

 

 

 

前後しますが、NHKの特集記事の冒頭に出てくる“自分メンズなんだよね” というのも、軽くて広くていい表現かもと思った。

 

<もともと女子サッカー界には“メンズ”ということばがあります。

正式な定義はありませんが、性的指向(好きになる性)が女性であったり、性別表現(表現する性)が男性寄りであったりと、男性的な要素を表すことば>

 

 

 

 

私自身はトランスジェンダーではないけれど(色々と変わり者だけど性別や性的志向は一致しています。ストレート)、心の中の一人称が時々「俺」とか「ぼく」だったりして。

 

 

オレは一応性別は一致してるんだよなー、みたいな風に。一致してるん?(笑)

 

 

作家の吉本ばななさんが、「ラクダに乗るオレ」とか以前にご自身の写真の説明に書いてらしたなあ。そんな感じで。

 

ばななさんは女性で中身も女性だと思うけど、コテコテの女性的な部分と、そうじゃない部分があるだろう。と感じる。

 

 

 

女性作家にしろ男性作家にしろ、ある程度は両性具有的だろうと思う。少なくとも、読者が男性ばかりとか女性ばかりとかに偏らない作品を書く人々は。

 

男性読者が読んでも女性読者が読んでも共感できる登場人物を書けるということだから。

 

(たとえば、村上春樹さんはそういうタイプの作家だと思う)

 

 

 

 

 

 

実際のところ、男度が高いか女度が高いかのグラデーションはあれども、大多数の人々が男性か女性かに分れるし、一部の人が“心配”するように、性の多様性を認めたところで、LGBTQな人が増えるわけではありません。ほとんどの場合は先天的なものだから。

 

 

もしあなたが異性愛者なら、「さあ、同性を好きになって法律的に結婚してもいいですよ!」と言われて、「そうですか、じゃあ私も」ってならないでしょう?

 

(逆に、生まれつき同性愛の人に、「異性愛者になりなさい」と言っても無理なわけです。選んでいるわけじゃないから)

 

 

 

さらに、社会をまとめて統治する上では、分けたほうがやりやすいんですよね。たぶん。

 

性別だけでなくて何かにつけて、分けて整理したり、組織立てたり。

 

 

 

だから従来はそういうやり方だったんだと思うけど、今は21世紀ですし。

 

アクエリアス(水瓶座)の時代だし、風の時代だし、アセンションに向かっているしね~。

 

ああ、分離的でなくて統合的なんだな。

 

 

 

 

 

直接関係ないけど(あ、でもゲイカップルや、複雑な成り立ちの家庭が出てくるわ)、久しぶりに読みたい気のする吉本ばなな作品。

 

「王国」シリーズの4作目で、続編というか番外編というか、1-3巻までの主人公達の次の世代、娘さんが主人公。

 

続いている話だけど、これはこの話として別に読める作品。

 

(3作目までを読んでいるほうが登場人物達をより理解できるけれども)

 

 

 

 

 

 

 

新潮社のインタビュー記事。今はじめて読みました。

どんな作品かの紹介。