Virtual Bars? | In The Groove

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a beautiful tomorrow yea

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一昨日の夜
は、シャンパン片手に、R&Bの生歌を聴きながら、いろいろな想いが頭をよぎってきた。幼少期から現在に至るまで、親に過保護に育てられたおかげで、物質的な満足ではなく、人生に何が足りないのかなどと、30代後半の年齢に達してから、自問自答してみたくなるのも不思議なものだよね。ホンモノ美しいモノばかりを探求してきたおかげで、色々なセンスやデザインの良し悪しといった表層的な差異に関しては、一般的な人よりは判っているつもりでいるが、もっと深いところでの、物事に対する哲学の違いであるとか、見えない部分を探求してみたくなってきた。


そういった意味では、幼少期からの音楽鑑賞といった私的な趣味は、色々な意味で、人生にプラスに作用しているようにも思えてくるのだが、いろいろな場面で、音楽って本当に良いものだと改めて実感させられる。現在(いま)の音楽に良いものがなければ、昔の音楽から良いものを探し出すというのはクールな方法だし、映画でも同じことがいえると思う。


アルマーニやデヴィッド・ボウイのように数百メートルもある巨大ヨットで世界中をクルージングしたり、ジョン・トラヴォルタのように自己所有のジャンボジェット機を、自ら操縦して世界中を旅するようなことは一度くらい体験してみたいと妄想したとしても、あまりにも非現実的な話であり、俺のような一般人からしてみれば、浮世離れした暮らしにすぎないのだ。


ここ数日、日本の退屈なテレヴィをつけてみると、こどもが大きくなったような30代前半!?の海老蔵くんのニュースが流れてくるので、すぐにテレヴィを消してしまうのだが、他にニュースはないのかと思えてくるくらい退屈なニュースもしくは暗いニュースばかりが流れてくるのだ。坊主頭の丸い顔と彼の幼い発言がミスマッチにも思えてくるのだが、見方を変えると、ほのぼのとして、日本的には明るいニュースなのだろう。


先日のLIVEは、興味があまりなかったからなのか、シャンパン片手になぜか余計なことばかりを考えていた。

LIVE終了後に知人が経営している店に移動し、音楽の話に花を咲かせた。「ジャズ(ピアノ)で、最近のオススメって何かありますか?」と訊かれたので、「俺のお気に入りで、定番ともいえるビル・エヴァンスグレン・グールド以外であれば、エリック・ルイスに2000年以降は注目している」と答えておいた。


自宅にしろ自宅の外であっても、音楽に溢れた暮らしって素敵だと思うし、日常生活の中で、“五感”を刺激されるような瞬間って限定されてくるわけで、新しい音楽に触れることによって、感性が磨かれていくような気がしてならないのだ。私的には、やっぱり音楽が、一番感性に訴えかけてくるようだし、クールなジャンルなんだと思う。


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先述した以外では、アート鑑賞も、“五感”に訴えてくる何かが存在するとは思うのだが、現代社会において、日々美術館やギャラリー巡りをするほど時間的な余裕はないわけで、一方で私的に観たいと思うような作品の展示会ばかりが、日常的に開催されているとは考えにくいことなのだ。身近なところでは、美術館に足を運ばなくても、海外のインターネットサイトを色々と覗いてみると、面白いアート作品を見つけたりと、日常的に新鮮に思えてくる場面に出くわすことは多々あるのだ。Philippe Derriereブログ なんかは、ある意味、俺の目には新鮮に映るし、面白い。たま~に、ニューヨークの美術館やギャラリーのサイトもチェックしているのだが、意外と面白いものだし、オススメ!


ところで、写真嫌いということは、ブログで前々から何度も記していることなのだが、今年の春先、気まぐれに新しく購入したソニーの一眼レフ・デジカメを持って海外旅行に出掛けたわけだが、ロンドンで紛失してしまったように、初めから「らしくない」ことはやらないほうがいいのかなぁ、とも思えてきたのだ(笑)。最近、デジカメが無かった80年代のを整理してみたところ、数えるくらいしか写真が残っていないことに少し驚いたりした。80年代の記憶が、写真(記録)として残っていないというのも、何だか寂しいもので、年齢(とし)を重ねたことが少なからず影響しているのかなぁ、と。

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Flatiron Building, 23rd Street and Fifth Avenue, Manhattan (1938


写真がもし他の芸術を模倣していたら、決して成長することはないでしょう。写真は、写真自身で歩かなくてはなりません。写真そのもの、それだけで完結しなくてはいけないのです。

―ベレニス・アボット

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Flatiron Building, 23rd Street and Fifth Avenue, Manhattan (2009

写真上は、今年の4月に俺が撮ったフラット・アイロン・ビル。1938年に、ベレニス・アボットが撮影した当時から、71年もの年月が経過している。


その反動なのか、最近、ライカM9が欲しくなってきて、気まぐれにショップに立ち寄って、最近チェックしてみたのだが、結構いい値段するものなんだなぁ、と。毎日乗るタクシーと外食代を少し控えれば、月の小遣いで購入できる金額ではあるのだが。アルマーニの服であれば、ライカのM9より値段が高くても、その場で良いと思えば、昔から即決で購入してしまうのだが、服以外のモノではなぜか?条件反射的に「ちょっと待てよ」といった気持ちになるのはどうしてなんだろ。誤解のないように、アルマーニの服を購入するのは、私的には衝動買いとは意味合いが違うものだと考えている。とはいっても、カメラにはそこまで思い入れがないからなのか、それとも価値がすぐに見出せないだけなのか、時間が経っていくと、欲しいモノの優先順位からいつも遠ざかっていっているような気がしてならない。


以前のブログでも記したことなのだが、随分昔の雑誌『Esquire』を読み返すことがは、最近では多い。先日改めて目を通した1997年に、面白い小説を見つけたので、一部抜粋して紹介したい。

               バーチャル・ドリンカーの嘆き


 フランク・シナトラの時代がそうだったように、ドアを開けると人、人、人の背中しか見えなくて、そいつを無造作にかき分けてカウンターまでたどりつき、横にいる初顔の男か女に一声かけるのがアメリカのバー。もっと昔のサマセット・モームの時代なら、例のシンガポールのホテルのロングバーで、扇風機のだるい音を聞きながら冷たいカクテルグラスで手と喉を冷やす。このとき隣にいるのは見ず知らずの男や女じゃないほうがいい。寂しいバーは嫌いだ。


 そろそろバーチャル・アロマが伝わったかな? シガー葉巻の匂いさ。1997年のニューヨークや東京では、ガーを吸えるバーというのが流行りだったらしい。マリファナも公然と吸えなかった時代だからね、シガーを吸える場所も限られていたんだ。まだみんな肉体があったし、シガーの匂いの嫌いな人は今も昔も少なくないから。今でこそ僕らはオンラインに生きているから一人一人が無限大の仮想空間を所有しているけれど、当時の都会は人口過密で一人が占有できる空間は狭く、誰かがどこかでシガーをくゆらせば誰かが隣で眉をひそめるような時代だった。シガー・バーは、そんな時代の徒花。


 僕らは違う。寂しくないもの。だいぶ飲んだね。言葉が、途切れ、途切れになってきた。いいペースだ。きみのバーチャル空間はどんなバーなんだろう。いや、空間を共有するのは危険だ。そいつは禁断の果実、きっと肉体が欲しくなる。肉体から自由になれたらからこそ、ぼくらはこうして別々のオフライン空間に身を置きながら、オンラインのバーチャル空間を共有できる。せっかく肉体を捨てたんだ。同じ空間で肩を寄せ合うなんて野暮なことはよそう。


 昔のバーの画像を送るよ。1997年の雑誌をめくって、あのころ流行りのバーの写真をスキャンしたんだ。何を間違ったのか、あのころニューヨークではプラウダ(ロシア語で「真実」、昔のソ連共産党の機関紙の名前)とかKGB(ご存知、ソ連の秘密警察)とかってバーが流行ってた。世紀末の症状だな。きみも、あのころの東京のバーの画像を送ってくれ。そうして思い出そう。あのころぼくらにも肉体があったんだって。


―ジョニー・ジャスト

12年前の1997年、ニューヨークに出掛けたのはゴールデン・ウィークの時期だったのだが、フライトはノースウエスト機のビジネスクラスにて。1人当たりの往復航空券が45万円だったように記憶しているが、年末年始は60万円だったような・・・。ニューヨークでは、深夜に、キース・マクナリーのバー『PRAVDA(プラウダ)』に足を運んだことをはっきりと記憶しているし、当時はシガーバーシャンパンバーがニューヨークでは流行していた。


その10年後の2007、東京ではシャンパンの人気がピークに達した一方で、最近では当時にくらべると、不景気を象徴するかのように、鳴りを潜めたというか、影が薄れてきた感は否めないよね。


当時(1997年~)、ニューヨークで人気があったのが、BUBBLE LOUNGEJET LOUNGEWAXBOWERY BARなどなどで、俺が入り浸っていたのはSPYというクラブだった。東京では、ワインバーであれば銀座のシノワ、シガーバーであれば南青山のハバナ・ルームなんかが思い浮かぶのだろうか。


ファッションとアートを探す旅も悪くはないが、旅の記憶も時間が経てば消えていくわけで、最近、写真の魅力を改めて感じるようになってきたのだ。ベレニス・アボットの71年前の写真には、「バーチャル・ドリンカーの嘆き」ではないが、現代においても、圧倒的な存在感を持って、“”に生きる人々と向き合っているように思えてくるのだ。


Have a nice weekend !


【追記】

2007年は、デヴィッド・リンチ監督作「インランド・エンパイア」が公開された年でもあるのだが、当時、彼が「映画」と「音楽」について、興味深いことを言っていたので紹介。「映画」を「音楽」に置き換えると、音楽を聴くことで違う世界を開き、新しい体験ができるとも解釈できる。


映画を観る者は、直観力を駆使することを恐れてはいけない。とにかく信じ続けること、内にある知識を信じることが大切だ。映画は、とても美しい言語だ。音楽は似ていて、どちらも美しく知的な旅であり、どちらも言葉なしに語りかけてくる。だから、ぜひ映画を観ることで違う世界を開き、新しい体験をしてほしいね。