CAになるキッカケは2人の校長先生 | 東京Crew倶楽部 ~客室乗務員(CA)の世界~

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フライトにまつわることからCAたちのプライベートまで♪ 元ベテランチーフパーサーが語っています

筆者が子供のころ

高度成長期に入る前だったので

まだ日本は貧しかった

 

1ドルは360円で

日本には外貨が少なく

外国に行くのは限られた人だけ

 

インターネットなどない時代

だれもアメリカのことなど知らない

 

そんなとき

小学校の校長先生が

アメリカの教育視察団の一員に選ばれ

現地の教育事情を視察してきた

 

それも、飛行機は運賃が高かっので

何週間もかけての船旅だった

 

そして帰ってきてから

朝礼でアメリカのことを話してくれた

 

アメリカの小学校のこと

ビルがいっぱい建っている町のこと

 

当時、すでにアメリカでは

子供たちのための

歩行者天国があり

 

日曜になると子供たちは

道路で思いっきり遊んでいる

そんな風景も話してくれた

 

テレビではアメリカのホームドラマが

放映され初めていた

 

アメリカの家庭には

テレビや洗濯機や掃除機

そして広い庭や一家に一台の車

 

アメリカってすごい!

行ってみたいな

 

中学に入ったら

今度は校長先生が

友人の松田文部大臣(当時)を

朝礼に呼んでくれた

 

文部大臣は若い頃

アメリカに渡り

向こうの家庭に子守として入り

英語を勉強

それから大学に入学した

 

向こうの家庭の話しや

子供たちがどんな生活をしているか

いろいろ話してくれた

 

最初に覚えた英語は

ダイヤパー(Diaper米語)おむつのこと

だったそうだ

 

アメリカってそうなんだ!

あぁ、行ってみたい

ますますアメリカへの思いが募ってきた

 

アメリカに行くには

英語ができないといけないな

 

それじゃ

まずは、単語を一日10個覚えよう

 

夢をくれた2人の校長先生

今でも名前を憶えている

 

小学校の校長は須藤金之助先生で

中学校は千葉義美先生だった

 

T・K   ♂

 

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