これから未曾有の高齢社会となる日本。
いきいきと輝く諸先輩の後期高齢者の方々がたくさん目に浮かぶ
特に、高齢社会が来ると、憂うことはない。
要は、自分がどう生きたいか、そのために今のうちから何をしておけばよいのか、ということを考えて
考えているだけではだめで、行動しなければならない。
昨日 A、B、C についてお伝えしたが、
(http://ameblo.jp/tokyobyouin-director/entry-11505753547.html )
まさに、輝かしい自分の老後を実際に「C」として得るためには
身体的健康は欠かせない要素である。
両親に感謝しているが、みっちゃんは本当に体が丈夫・・・・
たまには、華奢に・・・・・みられたい・・・・とは思ったことない
だって、やはり、健康が一番だって、社会人として感じているし、
母親としてもそう感じているし、
おいしいものを食べたり、楽しいことを感じたり、嬉しことを共有したり、
何をするにも、健康は本当にかけがえのない宝、自慢である
そう、ところが、この年になってくると、実は、先日、息子たちと山登りをした時に実感した…。
足腰、の弱り・・・・
年には、勝てない?いや、年のせいではなく、普段の運動不足だ!ってはっきり言われた・・・(;^_^A
そう、息子から・・・・ (・・;)
もっとショックだった・・・・
確かに・・・・で、で、でも、言い訳じゃないけど・・・・
息子よ 加齢には、ママも勝てないんじゃ~~~~
そう、カレイ には勝てない。
今、世の中は超高齢社会である。
先日もみっちゃんよりもっともっと高齢の方が、介護している現場を拝見し、
すでにきている老老介護、そしてさらに今後は超高老者×2介護時代に向けて
なんとか、この先進国と呼ばれる我が国で対応策を実施していかないと・・・・と改めて感じた
介護場面で、もっとも困るのは、トレイなど排泄、つまり、移動である!
ところが、すでに、デンマークなどの高福祉国家と言われるところでは
移動に関して「ノーリフト」という考え方が定着している。
何を、ノーリフト?
結局、医療・介護現場で、腰を痛めてしまえば、自分が年を取った時に動きづらくなる。
そうなるとまた、介護が必要となり、・・・・・というサイクルができてしまう。
そして、何よりも、いきいきと社会の一員として楽しく老後を謳歌することに制限が出てくる・・・・・
「腰」という文字は、身体の「要」と書く
まだ、我が国は、国策としてノーリフトを義務付けていないため、
医療、介護の現場では、多くの人たちが腰を痛めて仕事ができなくなったり
自分の老後を心配したりしている現状である。
もはや、医療、看護、介護、の現場だけでなく通常のご家庭でも当たり前になっている介護。
ぜひ、国民からノーリフトを推進し、国を動かしていきたいものである
いや、もちろん、国にも働きかえていこうと思うが
やはり、国は、率先しては物事を先駆的にすすめていこうとはしない・・・。
モデル事業もどこかで、確かに、効果あり、ということを実証してから、やをら重たい腰を上げる。
仕方ない・・・。国民のために行動が慎重になるのであろう・・・・。
そこで、だとしたら、我々医療業界だけでなく、
国民的にノーリフトが当然でしょ?!的な状況にしていくのも一つの方法かもしれないと思った・・・。
その草の根的な素晴らしい活動をしているのが、保田さんたちの
ボランティア活動から発展した日本ノーリフト協会
協会代表の保田さんのHPの言葉にでてくるオーストラリアでのジャネットとの出会い・・・・・
実は、みっちゃんも数年前、オーストラリアの労働環境の調査で一度お会いしたことがある
みっちゃんにも「変えられないじゃなくて、変わらなくてはいけないのよ!」ということを熱く語ってくれた。
だから、みっちゃんは8年前から我が国の看護界に労働環境改善としてオーストラリアに見習い
多様な働き方を地道に草の根的に進めてきた・・・・・
最初は「甘やかしちゃだめよ~夜勤できない看護師なんて、うちはいらない」なんて、
看護部長さんたちから理解してもらえないことも多々あった。
でも、草の根的に、賛同してくださる方が増え、県のモデル事業などアドバイザーなどでも広げ、
地道に、地道に・・・・・であった・・・・が、
今、やっと、それが全国に伝わってきている・・・・10年かかる・・・・。
だから、きっとこのノーリフトも10年後は、当たり前になっているかもしれない・・・
今や、医療者だけでなく、一般のご家庭でも介護をされている。
だとすれば、看護や介護の現場だけではなく、広く国民に
このノーリフトをしってもらい、10年後は、医療、看護、介護、の現場だけでなく
通常のご家庭でも当たり前になっていることを望みたい・・・。
いや、望むだけではなく、「行動」しなければ
みっちゃん