第7週&第8週、セレモニー&神宮送別会復活を! | YELL Onlineβ

YELL Onlineβ

テスト版です

開幕前の週刊ベースボール誌に、内藤事務局長の談話が載っていました。
「コロナ禍で実施出来るかは未定ですが、最終戦後は応援団(部)との神宮送別会を行う慣例があります。1試合であれば後ろを気にせず行事を消化することが出来る」
第7週、10時試合開始にしたということは、送別会をやらせてくれるということでしょう!

送別会を知らない方も多いと思います。早慶以外も、昔は最終戦後にスタンドでお別れ会を行なっていました。 
基本的に2試合ある日だと第1試合はスタンドで出来ないので、昭和の時代は法明はスタンド、東立は日曜の第1試合が最終戦になることが多かったので、第2試合中、応援席下の外の通路で行っていました。


それが昭和63年、昭和天皇ご不例のため自粛ムードが漂っており、第2試合でも球場の外で行われました。

平成以降は第2試合や1試合だけでも、早慶以外は基本的に外で送別会を行うようになりました。

その後、お別れ会も、形を変えて行われていましたが、大学によってはいろいろあってなくなってしまっていました。

ですが早慶だけはずーっとスタンドでお別れ会が出来ていたのです。しかも一般学生の4年生も台に上がれるという……。その点は早慶を羨ましいと思いましたね。

スタンドでの送別会も、大学によってやり方は違ったと思いますし、東立が最後にスタンドでお別れ会が出来たのはいつなのかわかりません。
 

 

最終カード単独開催の今年、せっかくのチャンスです。
お別れ会を復活させましょう!


私が見たスタンドでの送別会(法政)の記憶。

拍手の中、野球部の4年生が入場し、台に上がり一人一人名前と出身校だけ紹介。
応援団も4年生紹介。
野球部主将、団長の挨拶、スクラム校歌で終了という感じだったような……。

残った学生がそのまま学生席でそれを見て、野球部の下級生は上のほうで見ている、という感じでした。
反対側では同時に明治が行っていて、「都に匂ふ花の雲」が聞こえてきたのをよく覚えています。


球場外でのお別れ会は、やり方は大学によって異なりました。
「そっちは始まった?」「こっちはまだ」とか連絡取り合ったりしたものです。

法政の場合、ある時から、一人一人の部員の紹介をマネージャーが(六旗の下にの時の司会さながらに)やっていました。その後応援団リーダーが「ありがとうありがとう○○」と一人ずつコールします。なので法政のお別れ会は長くて有名でした。まあ、いろいろあって、やらなくなってしまいましたが。

外でやると、暗かったり見にくかったりといろいろ問題でしたが、良かった点は、距離が近く選手同士の交流が間近で見られたり、選手とファンの交流も簡単に出来たことですね。

今はコロナ禍で、密接やふれあいは基本的には禁止なので、スタンドでやるのがいいと思います。

日本シリーズが控えているということで、さらに簡略化し、野球部4年生(主将・副将・主務だけでも)がリーダー台に上がり、団長、主将の挨拶、校歌演奏、くらいでもいいかもしれません。

神宮送別会は、ずっと応援してくれた応援団やファンへ感謝の気持ちを伝える場でもあるはずなので、復活させてほしいです。


そしてもう一つ、以前最終カードの第1試合前に行っていた試合前のセレモニーも復活して欲しいです。

リーダー幹部やチアが相手側に行って応援歌やチア曲を振ったり踊ったりしていましたが、今のご時世で難しいなら、お互いに行き来はせず、相手の応援歌やチャンパを演奏するだけでもいいと思います。

昔、東立セレモニーで、東大応援部が「行け立教健児」を短調で演奏したり音頭調で演奏したりしたこともありましたっけ。

最近は試合前に、応援団(部)が、練習としてだと思いますが、演奏したり踊ったりしています。
それなら時間的にセレモニーも出来るはず。10時試合開始だから9時頃から、ということになり、見たい人にとっては厳しいですが、

せっかくの単独開催ですもの。
セレモニー、復活させましょう!

 

 

昔の送別会の様子をご存じの方、教えて戴けると嬉しいです。