YELLのしまいかた その2 | YELL Onlineβ

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テスト版です

本当は「0か100か」が理想です。

しかし100、つまり「今まで通り続ける」は、宝くじが大当たりするかパトロンでも現れない限り無理かと思います。
半端に続けるのは美しくないし、気持ち悪い。100が無理なら0がいい。
一ファンに過ぎない私が、えらそうに発信、発行し続けていたのは、(ほぼ)全試合見ているという自負があるからです。「観続けている」「通い続けている」からこそ書きたいこと、そして書けることがある。
半端にしか見なかったらやめたほうがいい、と思っていました。
発行をやめるのに球場に行って、「YELLは?」と聞かれ「やめたんです」と答えるのも面倒。
なので作らないのだったら、つまり「0」にするのなら神宮に行かないほうがいい……
と思っていました。

 

……が、
何せ四半世紀以上神宮に通っているのです。
神宮でつながった人が交友関係の大半を占めています。
SNS等での発言を見て、ムズムズモヤモヤするに決まっています。
せっかく出来たつながりを断ち切りたくもありません。

25年、YELLを続けることによって得たものはたくさんありますが、捨てたもの、選ばなかったものもたくさんあります。

真っ当にボーナスの出る企業で働いていたらおそらく小さな家くらい建てられていたのでは。
結婚して子供を産んでいたら孫が出来ていてもおかしくない。
そういう普通の人生をなげうって続けてきました。
はい、わかってます。誰に頼まれたわけでもありません。自ら選んだことです。

神宮で知り合った仲間たちが親になり、社長になったり市長になったり、みんなそれぞれの道で活躍しています。

なのに私は神宮に居残り続けています。

よし、私はみんなが時々神宮に帰って来た時に、「おかえり」と迎える立場でいよう、と思ったこともありました。
婆さんになっても神宮に行ってスタンドでこと切れている、なんていうのも有りかも、と考えたこともあります。いえ、それは迷惑でしょうが……。

身体的、経済的に行けなくなる、あるいは「神宮が通いたくなくなる環境に変貌する」ことがない限り、やはり神宮には行きたいと思います。
100じゃなきゃ、と肩肘はらずに90、80と、気持ちや体力、財力と折り合いをつけながら減らしていくようにし、「YELL」も形を変えてでも残していく方法を考えたいと思います。