インド思い出レポートを始めて3回。
しつこく「高級住宅街マルバルヒルに住んでいた」と自慢している。
確かに、
マラバルヒルは緑が多くて、大きなお屋敷が沢山並んでいた。
丘の上にはハンギングガーデン空中庭園と呼ばれる季節の花々に彩られた素敵な公園もあった。
丘の西側に位置する社宅からは、大きな運動公園が見えて、毎朝、上流階級のインド人たちがウォーキングしていた。
その向こうにはどこまでも続く海が見えた。
▼きれいに整備された運動公園では、日本人学校の運動会も開かれた。
連れも、良い季節には坂を下りて運動公園を歩いた。
ある日、やや不機嫌そうに帰ってきて、
「公園の入り口を間違えた。一つ手前の道に入ったら、なぜか異様に臭かった。」と言う。
そして、「土がいきなり盛り上がってくると思ったら、土と同化してた人間が起き上がってきたんだけど。」と。
ボンベイの街ではそう言うことが度々起こった。
ぼんやり歩いていると道端で寝てる犬や人をうっかり踏みそうになる。
車に乗ってぼおっと外を眺めていたら、道で今まさに(大の大人が)〇〇〇を排泄している光景が目に入る。
そんなことは日常茶飯事だった。
一番頭が痛かったのは、車が交差点で止まると、どこからともなくわらわらと湧いてくる物乞いだった。
大人ならまだしも小さな子どもだと、心が痛んだ。
「天は人の上に人を造らず・・・」と習ったけど、あんな言葉は嘘っぱちだと、偉人に毒付いてみる。
私はたまたま日本に生まれたけど、天命でインドに生まれていたらどうだったろう。
この子たちはいつか服を着て、学校に通い、人並みの暮らしが出来るようになるんだろうか、、、この子たちに、そんな日は、永遠にやってこないのではないか。
諭吉さん!ここには、そもそも学問をススメル前提にない子供たちがいるではないか。
そんなことを考えると、頭が痛くなり、出かけるのが億劫になった。
それでも、日々の生活のために外出しないわけにも行かず、やがて、何も考えず、ただの景色として街を眺める姿勢に変わっていった。
「この子供のことを考えると私は幸せだ」などど自分を慰めるような思考や、「高みの見物」姿勢は元々嫌い。
だけど、インドで日々を暮らすには高みの見物的な姿勢でいないと、心が持たないように思われた。
そして、私が高みの見物を決め込む一番のきっかけになった存在は、、、
社宅の隣にあるこの光景だった。
屋根が折り重なるように家が立っている。
緑(イスラムカラー)やオレンジ(ヒンズーカラー)の旗が掲げられ、まるで競い合うように、毎週末、大音量の音楽が鳴り響いていた。
▼インド国旗の色はこの二つの宗教の和解と平和をあらわしている。
大音量で眠れないじゃないか!!
嫌でも窓の下に目が行った。
恨めしさと、なにより好奇心に抗えず、暇さえあれば眺めるようになっていた。
密集しているから、家と家の間に道はない。
エリアに入って行けば路地くらいはあるだろうか。入っていく勇気はない。
トタン屋根の上を器用に移動している住人の姿が見える。
たまに屋根の上で子供たちが凧揚げをしている姿は楽しげだ。
何箇所かに水くみ場があるようで、毎朝、そこで顔を洗っている人達がいる。
白いワイシャツで会社勤めに出ている人もいるようだ。
よく見れば、立派なパラボラアンテナを掲げた家もある。
ここはボンベイの一等地マラバルヒルの中腹。
この密集した家屋群も、高級住宅街に違いないのだ。
地方から出てきた人が違法に家屋を建て、このエリアに住み着いてしまったのだと聞いた。
違法建築とは言え、そこには人々の営みがある。
無碍に取り壊すわけにも行くまい。
オリンピックのようなイベントでもあれば、強制的に撤去整備するんだろうか。
1964年の東京オリンピックの時には、東京の街でそういう行政の施策があったと聞く。
けれど、30年近く経った今、Googleマップで旅してみると、相変わらずそこに人々の暮らしがあるらしい。
ありとあらゆる人が密集し、混沌としたボンベイはそのままに、郊外に新しいボンベイの街が建設されつつあると聞く。
そんなところも、なんだかインドらしいなぁと思う。
そして私はいまだに「高みの見物」感が後ろめたくて、この記事はそのうち消してしまうかもしれない。。。