正直に言うと、ばぁばは歴史があまり得意ではありません。
他人様が当たり前に知っていることを知らなかったりします。
散歩写真の整理と備忘録を兼ねたこのブログを書き始めてから、本を読んだり資料を集めたりネットで調べたりと、新たな学びの機会を頂き、ありがたく思っています。
(あのばぁばが歴史について偉そうに、、、などと考えると恥ずかしくて、友人・知人にはブログのことを内緒にしています。)
そんなばぁばが、にわか学習ながら個人的にはよく調べた!と自画自賛なのが、こちら↓
だらだらと書いていますが、要するに東大赤門に代表される赤門は江戸時代にはいくつかあって、それらは大名家に徳川の姫君が嫁ぐ時に造られたものだ、、、と言う内容です。
錦絵などを調べたところ、大名屋敷の赤門が描かれたものがいくつもあり、それらは徳川姫君のお輿入の事実と合致しました。
ところが、その中にひとつだけ、納得がいかない大名屋敷があったのです。
▲広重 名所江戸百景 外桜田弁慶堀糀町
▲広重 江戸勝景 桜田外の図
錦絵に描かれているのは、桜田門外にあった彦根藩・井伊屋敷の赤門です。
弁慶堀との組み合わせにも風情があり、この他にも何枚かの錦絵に描かれています。
しかし、どう調べてみても、徳川の姫君が井伊家に嫁いだ痕跡はありませんでした。
なぜだろう??なぜ井伊屋敷に赤門があるのだろう、、、気になりながら、数日が経ちました。
そして昨日のこと。
大河ドラマ「青天を衝け」を見始めたら、例によって北大路欣也さん扮する徳川家康が登場です。
赤い甲冑を前に「ほぉ、懐かしい。"井伊の赤備え"ですな」と。
井伊の赤備え、、、赤備え、、、すとんと腑に落ちた、、、そんな気がした瞬間でした。
井伊家の菩提寺である豪徳寺には井伊屋敷から移築されたと伝わる赤門が現存しているとのこと。
いつか実際に足を運んで、この目で確かめてみたいと思います。
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