11月10日(日)、『上林春松(かんばやししゅんしょう)先⽣に学ぶ茶道の茶⽂化 〜碾(ひ)きたて抹茶とともに〜』を横浜市のかながわ労働プラザで開催しました。この講座は横須賀青年部・東京第二西青年部との合同開催で、東京第七西青年部からは10名が参加しました。


講師の上林春松先⽣は、宇治に450年続く上林春松本店の十五代当主です。この日は宇治からお越しくださり、茶の製法、茶の歴史、茶と上林家との関わりなどについてご講義いただきました。


たくさんのお話の中で私が最も興味深かったのは、今から800年ほど前、中国から茶を持ち帰り、当時の社会に喫茶の習慣が広まるきっかけを作った栄西禅師についてのお話です。


上林先生は、ご自身の意見だと断りながら、「栄西禅師は茶の製法や効能について書いたが、茶をたしなむ際の礼節については書かなかった。そのため中国の影響を受けない茶の作法が日本で発達したと言える。栄西禅師にもう少しの寿命があり、中国で見聞きした作法についても書き残し、それが普及していたら、日本の茶道はまったく違うものになっていたかもしれない」とお話しされ、私は「もしそうなっていたら、茶道はいったいどんなものになっていたのだろう」と思いを巡らせずにはいられませんでした。



先生のお話のあとは、碾茶(てんちゃ。抹茶に碾く前の葉茶)を石臼で碾く体験です。



石臼は青年部が用意したもので、専用のものではありませんでしたが、碾きたての抹茶をお菓子とともに美味しくいただきました♪



ところで、江戸時代、将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運び、献上する行列は「御茶壺道中(おちゃつぼどうちゅう)」と呼ばれていたそうです。


将軍への献上品を運ぶ御茶壺道中は、大名行列よりも格上に扱われ、その様子は「ずいずいずっころばし」にも唄われています。宇治の御茶師(おちゃし)の筆頭で、代官でもあった上林家は、この行列を取り仕切っていました。




こちらは上林先生がお持ちくださった茶壺です。実際はここに上林春松家の花押が入るそうです。



その茶壺の飾り紐の結び方を、横須賀青年部の指導で体験しました。





途中経過はこんな感じですが、、



最後はきれいにできあがりました。淡路結び(草の結び)です♪


行事のあとは、横浜中華街のお店で先生とお昼をご一緒させていただきました。上林春松本店は日本コカ・コーラが販売する『綾鷹』でも有名ですが、その開発秘話なども伺い、とても楽しい時間でした。


残すものは残し、変えるものは時代に合わせて変えていかねばならない、という先生のお話に、宇治の御茶師で唯一いまに残る上林春松家の底力のようなものを感じました。(R.K.)