私はベジタリアンではないので、よく牛肉や豚肉、魚肉などを食べます。もちろん、牛や豚が痛みを感じる動物であることは知っています。だから、牛や豚が屠畜(屠殺)される時、目の前で苦しみもがいている様子を見たら、ショックを受けるに違いありません。
でも実際に屠畜されるのを見たことがないので、食べる時にその場面を想像することは、まずないでしょう。現在の屠畜場では、牛が苦しまないように命を絶つ「配慮」がなされていると聞いているので、ことさら「屠畜」について思い浮かべることはしません。
それに人間も生物である以上、他の生き物を食べていかなければ生きてはいけません。私にできることは、せめて食前に合掌して、それらの生き物の命に対して「感謝」の気持ちを表すことくらいです。
ところで、牛や豚などの哺乳類ではなく魚類について、私たちはどのような「配慮」をしているのでしょうか。
私は幼い頃から「魚は痛みを感じない」と教えられてきました。だから、割烹の料理人が生け簀から魚をすくい上げて、包丁でさばいている場面を見ても、多少は気味が悪いけど、それほど気にはなりません。
これが、牛や豚だったら気味が悪いどころではありません。耐えられない気持ちになって、その場から逃げだすと思います。
たぶん、私たちは何となく魚を下等動物だとみなしているところがあるのでしょう。なかには「魚は反射運動をしているだけで、痛がっているわけではない。だいいち魚は苦しい表情なんかしていないじゃないか」と言っている人もいます。
しかし、本当にそうなのでしょうか? 魚は痛みを感じていないのでしょうか。
ブレイスウェイト(魚類生物学者)は、そうした疑問に答えるために、数々の調査と実験を行なったのです。彼女は「魚は痛みを感じるか?」というテーマに真正面から取り組んだわけです。
著者は、その経緯を次のように語っています。
でも実際に屠畜されるのを見たことがないので、食べる時にその場面を想像することは、まずないでしょう。現在の屠畜場では、牛が苦しまないように命を絶つ「配慮」がなされていると聞いているので、ことさら「屠畜」について思い浮かべることはしません。
それに人間も生物である以上、他の生き物を食べていかなければ生きてはいけません。私にできることは、せめて食前に合掌して、それらの生き物の命に対して「感謝」の気持ちを表すことくらいです。
ところで、牛や豚などの哺乳類ではなく魚類について、私たちはどのような「配慮」をしているのでしょうか。
私は幼い頃から「魚は痛みを感じない」と教えられてきました。だから、割烹の料理人が生け簀から魚をすくい上げて、包丁でさばいている場面を見ても、多少は気味が悪いけど、それほど気にはなりません。
これが、牛や豚だったら気味が悪いどころではありません。耐えられない気持ちになって、その場から逃げだすと思います。
たぶん、私たちは何となく魚を下等動物だとみなしているところがあるのでしょう。なかには「魚は反射運動をしているだけで、痛がっているわけではない。だいいち魚は苦しい表情なんかしていないじゃないか」と言っている人もいます。
しかし、本当にそうなのでしょうか? 魚は痛みを感じていないのでしょうか。
ブレイスウェイト(魚類生物学者)は、そうした疑問に答えるために、数々の調査と実験を行なったのです。彼女は「魚は痛みを感じるか?」というテーマに真正面から取り組んだわけです。
著者は、その経緯を次のように語っています。
「本当に魚は痛みを感じないのか? 私は科学的な論拠を十分に説明する必要があるのではないかと思うようになった。
そして数多くの実験を重ねた結果、魚が痛みを感じることを科学的に実証することができたと確信している。
一般的に魚は3秒間の記憶能力しかない愚かな生き物だと考えられている。だが、この見方は誤っている。魚のいくつかの種は驚くほど賢く、数日間にわたって持続する正確な記憶力を持つこと、さらには回遊するサケのように、それが数年間に達する場合すらあることが研究によって明らかにされている。
また、私が行なったマス(ニジマス)を対象にした実験でも、魚が情動(快や苦)を経験する認知能力を備えているという証拠が数多く見つかっている。さらに、魚の前脳には、ヒトの大脳辺縁系に類似する機能を果たす特殊な領域が存在することもわかってきた。大脳辺縁系の存在は、恐れや情動によって情報を処理する能力を持っていることを示しているのです」
つまり「魚の脳にも情動を担う部位があること」そして「快不快に基づく行動をとること」などが、科学的に証明されたわけです。著者は「外的な刺激を情動に変換する『感覚力』を持っていることが確かめられた」と述べています。
また彼女は、これらの証拠を踏まえて、魚類に対しても福祉(捕獲や飼育のあり方)についての配慮が必要だと提言しています。
「ある動物に痛みのために苦しむ能力があると認められれば、その動物に対する私たちの接し方や扱い方、あるいは世話の仕方を変える必要が生じる。自分のせいで何かが苦しんでいるかもしれないという認識は、私たちの行なう道徳的、倫理的な判断に影響を及ぼす。つまり私たちは、その動物を気づかうようになる。それは魚に対しても同様である」
したがって、動物福祉の観点から、釣りや漁業、鑑賞魚などにおける人間の魚への対し方が考慮されるべきだと述べています。
「魚が痛みの知覚を持つことの意味を最初に認識し、受け入れたグループの一つは、養殖業者だった。いまや養魚業の管理者の多くは、魚の福祉を向上させるために何ができるか、また魚にストレスや苦痛を与えるような作業を、どうすれば減らしたり変えたりできるかについて学ぼうとしている」
著者の提言によって、養魚業の管理者や養殖業の株主は、魚の飼育や捕獲方法について真剣に考慮するようになってきている。なぜなら、魚の福祉に気を配ることで、新鮮で味のよい魚の増産を促進できるからです。福祉を軽視したり無視したりすると、病気の発生、貧弱な成長、品質の劣化に至る。したがって適切な福祉は、養魚家の経済的な利益にもなる。つまり、それは経済的な理由のためであり、福祉そのものが直接的な理由ではないことは明らかだという。
【おすすめ度 ★★★】(5つ星評価)
そして数多くの実験を重ねた結果、魚が痛みを感じることを科学的に実証することができたと確信している。
一般的に魚は3秒間の記憶能力しかない愚かな生き物だと考えられている。だが、この見方は誤っている。魚のいくつかの種は驚くほど賢く、数日間にわたって持続する正確な記憶力を持つこと、さらには回遊するサケのように、それが数年間に達する場合すらあることが研究によって明らかにされている。
また、私が行なったマス(ニジマス)を対象にした実験でも、魚が情動(快や苦)を経験する認知能力を備えているという証拠が数多く見つかっている。さらに、魚の前脳には、ヒトの大脳辺縁系に類似する機能を果たす特殊な領域が存在することもわかってきた。大脳辺縁系の存在は、恐れや情動によって情報を処理する能力を持っていることを示しているのです」
つまり「魚の脳にも情動を担う部位があること」そして「快不快に基づく行動をとること」などが、科学的に証明されたわけです。著者は「外的な刺激を情動に変換する『感覚力』を持っていることが確かめられた」と述べています。
また彼女は、これらの証拠を踏まえて、魚類に対しても福祉(捕獲や飼育のあり方)についての配慮が必要だと提言しています。
「ある動物に痛みのために苦しむ能力があると認められれば、その動物に対する私たちの接し方や扱い方、あるいは世話の仕方を変える必要が生じる。自分のせいで何かが苦しんでいるかもしれないという認識は、私たちの行なう道徳的、倫理的な判断に影響を及ぼす。つまり私たちは、その動物を気づかうようになる。それは魚に対しても同様である」
したがって、動物福祉の観点から、釣りや漁業、鑑賞魚などにおける人間の魚への対し方が考慮されるべきだと述べています。
「魚が痛みの知覚を持つことの意味を最初に認識し、受け入れたグループの一つは、養殖業者だった。いまや養魚業の管理者の多くは、魚の福祉を向上させるために何ができるか、また魚にストレスや苦痛を与えるような作業を、どうすれば減らしたり変えたりできるかについて学ぼうとしている」
著者の提言によって、養魚業の管理者や養殖業の株主は、魚の飼育や捕獲方法について真剣に考慮するようになってきている。なぜなら、魚の福祉に気を配ることで、新鮮で味のよい魚の増産を促進できるからです。福祉を軽視したり無視したりすると、病気の発生、貧弱な成長、品質の劣化に至る。したがって適切な福祉は、養魚家の経済的な利益にもなる。つまり、それは経済的な理由のためであり、福祉そのものが直接的な理由ではないことは明らかだという。
いつの世も、企業が善意だけで福祉に前向きになることはないようです。もし利益にならないと判断された場合、企業は積極的に動物福祉を考慮したでしょうか。微妙な問題です。
しかし、理由はどうあれ、魚の飼育や捕獲のあり方が改善されたのは悪いことではないと思います。
しかし、理由はどうあれ、魚の飼育や捕獲のあり方が改善されたのは悪いことではないと思います。
【おすすめ度 ★★★】(5つ星評価)