先日、international kids の植木由紀子さんが主宰する「世界の子育て」という講演をお聞きしてきました。

 

international kids さんは、駒込で「英語のおうち」を運営されています。

http://www.international-kids.jCp

そこは、「単なる英語スクールのように,ただ英語が話せることを目的としたものでなく、子供たちが遊びながら、ふれあいながら、生き生きとした発想力、豊かな表現力を養うことができる。」ところです。

 

講演者のYayoi T Tazi さんは、現在アメリカに住み、様々な文化にふれた経験をお持ちの方。

 

この会には、広島市で小規模で質の高い保育を実践されている、「おうち保育わっか」の脇坂三津子さんのご紹介で参加させて頂きました。

 

まず、Yayoiさん、植木さん、お二人の熱量に、

「今現在、世界はどんどん変化しているのに、日本の子供たちの教育がこれでいいのか?」

という熱意に感銘を受けました。

 

確かに政府も英語やプログラミング教育の導入を始めるなど、変化は見られます。

が、根本的なところは変化しているのでしょうか?

アクティブラーニングも導入されるようですが、お二人のお話をお聞きしていると、「そんなものじゃない」と思います。

 

一つの正解を見つけるための学習、どれだけ早く正解にたどり着けるかを競うテスト。

それでは画一的なものの見方、考え方に誘導されてしまい、様々な見方、考え方を身につけることはできません。

 

個性も多様性も、一つの事柄を様々な角度から見ることができる、そんな日常の態度からしか育まれないのではないでしょうか?

 

参加者のお母さまたちの中には、

「塾に行かせたら、勉強ができないといって人格まで否定され、自信を無くしてしまった。」

という意見も多く聞かれました。

そして友人たちからも「勉強のできないやつ」というレッテルを張られてしまったそう。

 

そんな人間関係の中では、思いやりの心など育つとは思えません。

 

では海外ではどうでしょうか?

 

まず、アメリカでは日本の学校のような宿題が無いそう。

「あんなに大量の宿題をやっていたら、家族と話したり、友達と遊んだり、お手伝いをしたり、そんなことが何にもできないじゃない。

お母さんに今日の出来事をした話したり、一緒にご飯を作ったり、本を読んだり、遊んだり、そこから興味のあることを調べたり、自分からテーマを見つけていく。

そう、先生に言われたからでなく、自分から、身近な生活の中から、気になったニュースから、大好きな食べ物から、面白いと思うことを広げていくこと。

 

「英語のおうち」では、小学校低学年でも、「テーマを決めてそれについて自分で調べる」ことをしているそう。

子どもたちの検索能力はとても優れているのです。

 

そうすると、子供たちは大人の予想を超えてたくさんの資料を集め、様々な角度から一つのことを検証し、意見を持つことができるようになる。

すると今度は、みんなでそのことをテーマに議論するのですが、その場合、ほかの人の意見を否定しないで、ちゃんと認めることがポイント。

「そんな考え方もあるんだな。」

と違いを認め、尊重するのです。

 

ここで思い出したのが、

「偏差値40から上智大 頑張れたのはなぜ」日本経済新聞 という記事。

都立大山高校での取り組み、「哲学対話」です。

 

ここでは、毎回テーマを決めて、車座になった生徒たちが真剣に自分の意見を述べ、議論するのです。

ここにも、ひとの意見を否定しない、というルールがあります。

 

どんなに自分と違っていても、自分から見ると奇妙に感じることでも、違う意見に耳を傾け、違いを認めることで、大きく成長し、自信と信頼を育むことができるようになる。

 

一つのテーマでじっくり意見を述べ合い、議論を重ねるうち、異なる考え方に至る背景や、その過程が見えてきます。

それを知ると、一つの言葉、一つの意見、一つの考え方が深く、広く、感じられるようになるのではないでしょうか。

たとえ全部を理解できなかったとしても。

 

自分の意見を発表するとなると、漠然と思っていることを言葉にするために、先ず自分の頭の中を整理しなければなりません。

そして順序良く考えを組み立てる中で、さらに自分の考えがはっきりしていく。

人の意見を聞いてみると、別の見方があることに気づかされ、考え方が深く広くなっていく。

 

大山高校の生徒さんたちは、この対話によって自分に自信がもてるようになり、同時に人を認めることができるようになったといいます。

さらに学習意欲も高まったということは、知識を覚えるだけの勉強の限界を表しているように思えてなりません。

 

「英語のおうち」に戻りますと、議論の後は各自テーマに沿ったエッセイを書くのだそう。

小学校低学年生でもこれだけのことができて、それは確かに一つの決められた正解を探す勉強より、頭を使う訓練のようですね。

 

ただ、日本の社会は、少なくとも今までのところ、とことん異質なもの、異質な考え方を認めない社会だったのかもしれません。

私は昭和ど真ん中に生まれ育った人間ですが、当時は同質社会とは言え、まだまだいい加減なところがあり、変な人も「しようがないなあ」と大目に見られていたように思います。

私もどちらかといえば浮いた存在で、でも別に自分では気にすることもなく、マイペースだったのですが、やはり窮屈ではありました。

その頃はこんなものかな、と諦めていたように思います。

 

しかし、これからの世界を考えると、そんなのんきなことも言っていられません。

 

Yayoiさんのお話をご紹介すると、

・子育ての目的は、子どもが自立すること、つまり親なしで生きられるようにすること。

大人になって困難なことを乗り越えるためには、メンタルが強くならなければなりません。

忍耐力も回復力も必要ですし、自分を客観的に判断し、計画を立てなければならないけれど、そのためには自分の欲望をコントロールして計画を実行する強い意志も必要です。

 

さて、そのすべての基礎になるものって何でしょう?

 

それは、親(または親の代わりの人)の愛情です。

何があっても自分を信頼してくれる存在、単なる甘やかしではなく、無条件で自分を受け入れてくれる存在、自分を愛してくれる存在があるということです。

特に幼児期に愛情をもって育まれていれば、具体的には覚えていなくても、それが大きな心の支えになってくれるのでしょう。

 

また、生まれた時からお母さんからどれだけ話しかけられたか、その会話数がその後の学習能力の差となって表れるという結果もありました。

これはべつにお母さんでなくても、まわりの大人で良いのです。

 

赤ちゃんが生まれると、つい赤ちゃんに話しかけていましたが、これはとても意味のある事だったのですね。

 

これを機にYouTubeで検索してみましたが、茂木健一郎さんなどの講演や対談でも、日本の教育への強い危機感を感じました。

MITの伊藤穣一さんの発言では、ご自分のお子さんは学校に行かせず、家で教育することも選択肢の一つとして考えている、ということでしたが、ボストンではよくあることとおっしゃっていました。

日本の不登校問題など、一概には言えませんが、あまりの考え方のギャップに呆然としてしまいました。

 

以前傍聴したWAW世界女性会議でも感じましたが、心がけて頭の中に風を通さなくてはいけないなあと思いました。

 

可愛い赤ちゃん、つい話しかけますよね。