人生、最初で最期の「SOS」 | 女性起業家ウィキペディア 小野 祐紀香のブログ

人生、最初で最期の「SOS」

こんにちは。

トラストの小野です。

 

11年ぶりの再会は、、

人生で忘れもしない最初で最後の...SOSをくれた人。

 

「小野さん、助けてください。」

 

今でも、あのときの声は忘れていません。

ずっとずっと続いていた、苦い思い。

 

 

Mちゃんとは、 

同じ釜の飯を食べた仲間であり、

お互いに「事業部長」という重い職責に

すべてをかけてチャレンジしていた同志でもありました。

 

24時間では足りず

本当に寝る間を惜しんで働いていたけど、

それでも、仕事を本気で面白いと感じられたのは

良い仲間に恵まれていたから。

 

「事業部を超えた営業体制をつくろう!」

「私たちの手で!」

 

 

早朝に有志ではじめた勉強会や

「誰が一番、素敵な名刺交換ができるか?」なんて

名刺選手権みたいなコンペを開催したりと

私たちのアイデアは毎日盛り上がっていました。

  

同時に業績はどんどん右肩上がりに成長し

会社は間もなく「IPO」という段階に。

 

ところが、

・急拡大のつけが回り始めたのか、

・社長がITバブルにおぼれたのか、

・目に見えない魔物に取りつかれたのか、

 

飛ぶ鳥を落とす勢い、、だったはずの会社は

全社の業績がガタガタと落ちていき

内部統制はくずれ

顧客ははなれ、一気に傾き始めました。

 

騒然とする社内

不安と不信で人格を失った社長は、

いつしか経営幹部への酷い仕打ちを始め...。

 

それは、

取締役会議で行われる徹底的な「責め」のはじまり。

 

外部の顧問、取締役員、VCの担当者と

私以外は、全員男性という構図の中で

業績の悪い順に、その責任追及が行われていく。

 

「次は自分だ。」

みんなが心の中で考えていたと思います。

 

だからこそ、

私は数字を割ることは絶対になかった。

きっと耐えられないと思っていた。

 

そんな私を、優秀な部下は分かっていて

みんなが必死に業績を支えてくれたのだと思います。

 

 

一方、誰よりも部下思いで、

男気のあるMちゃんの部署は赤字が続き

とうとう、その順番がやってきてしまいました。

 

毎月の役員会での「責め」と、

見込みの立たない予算の割り振り

事あるごとに呼び出され、それは厳しく怒鳴られていました。

 

半年くらいの間だったか、一年くらい経っていたのか...

最後は事業部ごとと思えるほどの大リストラを決行されて、

とうとうMちゃんは廃人同然になりました。

 

「小野さん、助けてください。」

 

 

何度も深夜に電話をもらい

何とか助けたいと思いながらも、、

結局は何の役にも立つことができなかった。

 

所詮、私もただの会社員だったのです。

 

自分の身を捨ててまで、人を救うなんて

そんな、映画のヒーローみたいにはなれなかった。

 

 

ボロボロになって、

廃人のようになったMちゃんの最終日に

本社1階の玄関まで見送ったあの光景を今でも忘れない。

 

その小さな背中が見えなくなるまで、

Mちゃんの相棒は「悔しい。」って泣いていました。

 

最高にカッコ悪い私は、

自分が許せなくて涙なんて出せなかった。

 

 

「本当にごめんね。」

 

 

 

あれから11年。

 

まさか、自分のオフィスで再会するなんて信じられない。

「天の配剤」でしょうか。

 

「Mちゃん?、Mちゃんなの?」

「お、お久しぶりです!」

 

突然の出来事で

お互いに何が起きたのか一瞬の戸惑いがありながらも

私は嬉しくて、嬉しくて、思わず、

 

「奥様との幸せは続いているの?」

 

これ以上もないというほど、

人柄の良い、Mちゃんには最高の奥様を

結婚前の挨拶にと最初に紹介してもらっていた過去があります。

 

だから、

「はい、幸せです!子どもも小学生がふたりもいるんですよ。」

 

その明るく元気だったころの

Mちゃんの弾む声に、喜びがあふれ…。

 

人生って本当に素敵✨

 

 

その後は、

11年のお互いの空白の時間を埋めるべく

飲みあかし語りあかした、最高の夜です。

 

森信三先生のおっしゃる通り...

 

人間は一生のうち 逢うべき人には必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に
 

 

もう、最高に「感謝」!

今日もがんばる!!