みなさま、こんにちは。東京の西新宿にある社会保険労務士法人東京おむろ人事サービスです。
月額変更届では、基本給などの固定的賃金が変わった後の3か月間に受けた報酬をもとに、標準報酬月額を改定します。
ここで判断に悩むのが、その3か月だけ残業が非常に多かった場合です。
基本給は少ししか上がっていない。
ところが、その直後にたまたま仕事が忙しくなり、残業代が大きく増えた。
その3か月だけを使って標準報酬月額を決めると、普段の給与水準とはかなり違ってしまうことがあります。
今回は、この点が争われた社会保険審査会裁決を見ていきます。
そして、この裁決にはもう一つ面白いところがあります。
裁決日は平成30年2月28日です。
その翌日の平成30年3月1日、厚生労働省は、随時改定についても年間平均による保険者算定を認める取扱いを示しました。
では、この人が現在同じ状況になったら、年間平均による随時改定を使えたのでしょうか。
そこまで見ていきましょう。
1 昇給後3か月だけ残業代が多かった事例
【参照:社会保険審査会裁決 平成29年(厚)第5099号、平成30年2月28日】
Aさんは、厚生年金保険の被保険者でした。
会社では、Aさんの基本給、職能給、仕事給が増額されました。
固定的賃金が上がったため、随時改定の対象となります。
会社は月額変更届を提出しました。
ところが、昇給後の3か月間は、Aさんの残業手当がかなり多くなっていました。
その残業手当を含めて3か月平均を計算した結果、標準報酬月額も大きく上がりました。
Aさんは、この決定に納得せず、処分を争いました。
(1) 質問:たまたま多かった残業代まで月変に入れるのか
Aさんは、対象となった3か月について、残業手当がたまたま多かっただけだと主張しました。
裁決書では、「前例がない程の残業過多」であり、「残業手当がたまたま過多であった」と述べています。
さらに、会社から残業をしないよう通達も出ており、今後このような額の残業手当は発生しないとも主張していました。
つまり、
「この3か月は特殊だった」
「通常の残業代はもっと少ない」
「今後もこの水準の残業代が続くわけではない」
ということです。
それならば、通常の給与水準に近い標準報酬月額にしてほしい。
感覚としては、よく分かる主張です。
(2) 回答 たまたま多かった残業代も含めて随時改定する
社会保険審査会は、Aさんの再審査請求を棄却しました。
残業手当は、労働の対償として受ける報酬です。
そのため、昇給後3か月間に実際に受けた残業手当も含めて報酬月額を算定します。
審査会は、3か月間の残業手当が「たまたま過多」であったという事情だけでは、通常の方法による算定を変更すべき場合には当たらないと判断しました。
ここで、昇給と残業代の関係を分けて考える必要があります。
残業代が増えただけでは、月変のきっかけにはなりません。
残業代は非固定的賃金だからです。
今回、月変のきっかけになったのは、基本給などの固定的賃金の昇給です。
そして、いったん固定的賃金の変動によって月変の対象になると、その後3か月の報酬を計算するときには、残業代も含めます。
つまり、昇給が「月変の入口」で、残業代は「月変の計算に入る報酬」です。
この違いが、今回の裁決を理解するポイントになります。
2 私の考察
私は、この裁決のAさんの気持ちはかなり分かります。
昇給した。
その直後に、たまたま残業が集中した。(私は適用課長時代、実態に合わないので「かわいそうな月変」といっておりました。)
その3か月だけを使った結果、普段よりかなり高い標準報酬月額になった。
「これは自分の通常の給与ではない」と言いたくなるでしょう。
しかし、裁決としては妥当だと思います。
月変は、固定的賃金だけを平均する制度ではありません。
固定的賃金が変わったことをきっかけとして、その後3か月間に実際に受けた報酬を見る制度です。
残業代は月変のきっかけにはなりません。
しかし、月変の計算には入ります。
ここは、似ているようで別の話です。
もし、
「今回は残業が多すぎたから、通常の残業代に置き換えよう」
ということを自由に認めると、反対の場合も考えなければなりません。
たまたま残業が少なかった場合には、通常の残業代を足すのでしょうか。
どのくらい多ければ「異常」なのか。
何か月の平均を「通常」と考えるのか。
会社や本人の判断で修正できるようにすると、標準報酬月額の決定に恣意性が入り込みます。
標準報酬月額は、保険料だけの問題でもありません。
一定の場合には、傷病手当金や出産手当金の支給額、将来の厚生年金額にも関係します。
そう考えると、「今回はたまたま多かった」という理由だけで残業代を除くことができないという判断には、理由があります。
ただ、この裁決を現在読むと、もう一つ気になる制度があります。
年間平均による随時改定です。
ここが今回、一番面白いところだと思います。
3 この人は年間平均による随時改定を使えなかったのか
この裁決は、平成30年2月28日に出されています。
そして翌日の平成30年3月1日、厚生労働省は、随時改定における保険者算定の取扱いを改めました。
定時決定だけではなく、随時改定についても、年間平均を使う仕組みが設けられました。
この取扱いは、平成30年10月改定以降の随時改定から適用されています。
したがって、今回のAさんは、この年間平均による随時改定を使うことができませんでした。
では、現在なら使えるのでしょうか。
今回の事実関係のままであれば、難しいと考えます。
年間平均による随時改定は、単に、
「3か月の給与が普段より高かった」
というだけで認められる制度ではありません。
通常の3か月平均による標準報酬月額と、年間平均による標準報酬月額との間に2等級以上の差があり、その差が業務の性質上、例年発生することが見込まれることなどが要件となります。
申立てには、被保険者本人の同意も必要です。
つまり、毎年決まった時期に繁忙期があり、その時期に残業代などが大幅に増えるため、通常の3か月だけで計算すると毎年同じように給与の実態とかけ離れてしまう。
そのような場合を想定した仕組みです。
ところが、今回のAさんは、
「前例がない程の残業過多」
「たまたま過多であった」
「今後このような額の残業手当は発生しない」
と主張しています。
これはむしろ、毎年同じ時期に発生する残業ではない、と本人自身が説明していることになります。
審査会も、事業所の業種や業態から、毎年一定の時期に残業が集中するという特殊性を認める資料はないとしています。
したがって、現在の年間平均による随時改定の制度があったとしても、この事実関係のままであれば対象にはならないと考えられます。
ここは、よくできた線引きだと思います。
今年だけ、たまたま残業が多かった。
この場合は、実際の3か月の報酬で月変する。
一方、毎年決まった時期に繁忙期があり、業務の性質上、その時期だけ残業代が大きく増える。
そのため、通常の3か月平均では毎年同じように給与の実態とかけ離れてしまう。
この場合には、要件を満たせば年間平均による保険者算定を申し立てる余地があります。
「たまたま」と「例年」。
言葉にすると小さな違いです。
しかし、社会保険では大きな違いになります。
4 裁決の翌日に年間平均の取扱いが示された
もう一つ、興味深いのが時系列です。
今回の裁決は平成30年2月28日です。
年間平均による随時改定の取扱いが示されたのは、その翌日の平成30年3月1日です。
しかも、厚生労働省のQ&Aでは、この見直しの背景について、国民からの意見、社会保険審査会の裁決、総務省からのあっせん等を踏まえたものと説明されています。
非常に興味深い時系列です。
ただし、ここは慎重に見る必要があります。
今回の平成29年(厚)第5099号の裁決そのものを受けて、翌日に制度が改められたと確認できる資料はありません。
この裁決と翌日の通知を直接結び付けることはできません。
それでも当時、随時改定についても、単純な3か月平均では給与の実態とかけ離れてしまう事例をどう扱うかという問題が、既に意識されていたことは分かります。
そして現在は、年間平均という仕組みがあります。
しかし、年間平均なら何でも救済されるわけではありません。
毎年同じように生じる報酬の偏りなのか。
その年だけ偶然生じたものなのか。
この違いを見ています。
今回の裁決を現在の制度まで追いかけて読むと、単に「残業代も月変に入ります」という話では終わりません。
なぜ通常は3か月の実績を使うのか。
なぜ年間平均という例外が設けられたのか。
そして、その例外をどこまで認めるのか。
そこまで見えてくる裁決だと思います。
【参考文献】
社会保険審査会裁決 平成29年(厚)第5099号(平成30年2月28日)
「健康保険法及び厚生年金保険法における標準報酬月額の定時決定及び随時改定の取扱いについて」の一部改正について(平成30年3月1日)
「『健康保険法及び厚生年金保険法における標準報酬月額の定時決定及び随時改定の取扱いについて』の一部改正に伴う事務処理について」に関するQ&A(平成30年3月1日)
「標準報酬月額の定時決定及び随時改定の事務取扱いに関する事例集」
日本年金機構「月額変更届(随時改定の際、年間報酬の平均で算定するとき)」
本記事は、確認できた社会保険審査会裁決、通知その他の公的資料に基づきます。
個別の事案判断は、管轄の年金事務所等への確認が必要となる場合があります。
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