【社会保険審査会裁決】傷病手当金 休職中在宅によるメール業務は就労か

  みなさま、こんにちは。社会保険労務士法人東京おむろ人事サービスです。今日は、社会保険審査会で裁決されたものについて整理します。

 退職後も傷病手当金を受け続ける資格喪失後の継続給付は、健康保険の資格を喪失した後でも、一定の要件を満たす場合に例外的に受けられる制度です。

 2つ要件があります。1つ目は、被保険者期間が継続して1年以上あることです。2つ目は、資格喪失時点で傷病手当金の受給権者であることです。

 この2つ目は、退職日(資格喪失日前日)に労務不能として、傷病手当金の支給要件を満たしているか、という形で問題になります。

 そのため、退職日に出勤したり、通常業務に近い対応をすると、退職日時点で労務不能ではないと評価され、資格喪失後の継続給付そのものが否定されると判断されやすくなります。

 一方で、出勤ではなく、自宅療養中に軽易な作業をしただけで、直ちに労務不能が否定されるとは限りません。この点が争点となり、一度は不支給とされながらも、再審査請求で取消となった事例が、令和3年(健)第110号(令和3年11月30日裁決)です。

 この記事では、退職日を含む期間に行ったメール転送がどのように評価されたのか、通達の位置づけも含めて整理します。

1  事件の概要

(1) 仕事の内容と休職 退職までの経緯

 請求人は、販売製品のリコール対応を担当していました。
 社有車で広い地域を移動し、顧客先を訪問してクレームに対応する業務で、精神的にも身体的にも負荷の高い内容です。

 請求人は抑うつ状態と診断され、医師の指示で休職(有給休暇の消化および欠勤)に入り、そのまま退職する流れになりました。

(2) 自宅療養中のメール転送と医師回答

  問題となったのは、自宅療養中の対応です。
自宅療養中も業務用パソコンに顧客からのクレームメールが届き続け、会社の指示で、それらを会社へ転送していました。

 その後、傷病手当金の申請に際して、保険者が医師へ照会を行いました。
 医師は、会社での労務は不能だが自宅なら可能、また、自宅で作業していた事実を知らずに労務不能と記載してしまった旨の回答をしています。

 医師照会の回答は、実務上とても重い資料になります。
 一方で、職務の実情や作業内容の具体を踏まえているかどうかで評価が変わり得る点が、本件の焦点になりました。

(3) 保険者の不支給決定と不服申立て

 医師の回答を受け、保険者は、退職日前日が労務可能だったとして、傷病手当金を支給しない処分をしました。

 ここが重要で、退職日前日に労務可能と評価されると、資格喪失時点で傷病手当金の受給権者ではなくなります。その結果、退職後に療養を継続していても、資格喪失後の継続給付が受けられない、という結論になり得ます。

 請求人としては、退職後の療養期間中の生活保障のために継続給付を受ける必要があり、その前提となる退職日前日の労務不能が否定されたこと自体が致命的でした。そこで、処分を不服として、審査請求、再審査請求へ進みました。

2  裁決

 社会保険審査会は、原処分を取り消し、支給を認めました。

(1) 労務不能の考え方

 傷病手当金における労務不能は、寝たきりかどうかだけで決まるものではありません。
 被保険者が本来従事している業務に耐えられる状態かどうかを標準に、社会通念により判断する、という考え方です。

(2) 本来業務とメール転送業務の比較

 審査会は、本来業務と当該作業の性質を比較しました。

 

 ① 本来業務は、移動を伴う外勤で、対面でクレーム対応を行う重い負荷の業務
 ② 自宅で行っていたのは、メールを転送する作業

 

 そして、メール転送は本来業務に比して格段に軽易である以上、それを理由に労務不能を否定し、支給を拒むことは許されない、と結論づけました。

 重要なのは、退職日を含む期間に何らかの作業があったという一点だけで、直ちに労務可能と決めるのではなく、作業の質と量を踏まえて評価している点です。

(3) 医師回答の是非

 医師は自宅なら可能と回答していますが、審査会は、業務の実情を正確に把握したうえでの回答とは考えにくいとして、当初の労務不能の判断を覆す決定打にはしませんでした。

 

4  私の考察

(1) なぜ不支給と保険者は決定したのか?

 保険者側が不支給に判断した理由は、退職時の取扱いについて厳しい通達が示されているためです。退職時に傷病にかかっていたとしても、出勤して労務に服していれば、資格喪失後の傷病手当金は受給できない、という通達が示されています(昭和31年2月29日 保文発第1590号)。

 ここで注意したいのは、出勤だけでなく、退職日前後に本人が業務の一部をおこなった事実があると、作業の軽重の整理が不十分なまま形式的に判断されやすい点です。

(2) 労務不能の考え方

 労務不能の判断は、医学的に働けるかどうかだけで決まるものではありません。行政通達でも、被保険者の従事する業務の種別を考慮し、本来の業務に耐えうるか否かを標準として社会通念に基づき判断する、と整理されています(昭和31年1月19日 保文発第340号)。

 さらに「健康保険法の解釈と運用(法研)」によれば、たとえ他の軽易な労務に服し得る程度であっても、従前の労務に服し得なければ労務不能であり、軽易な労務ができるという理由だけで支給を拒むことはできない、とされています。また、副業や内職など本来業務の代替的性格をもたない労務に従事した場合や、一時的に軽微な労務で賃金を得た場合でも、直ちに労務不能ではないと認定せず、労務内容と報酬額等を十分検討して判断すべき、とされています(平成15年2月25日 保保発第0225007号・庁保険発第4号)。

 本件で審査会が行ったのは、まさにこの枠組みどおりの比較です。外勤でのクレーム対応という本来業務と、自宅でのメール転送という作業を並べ、後者が本来業務に比して格段に軽易である以上、それだけで本来業務に耐えうる状態に戻ったとまでは言えない、と判断しました。

 

(3) 健保組合の不支給決定について

 私は、本件の不支給決定には疑問が残ります。請求人が行っていたのは在宅でのメール転送であり、従前の外勤でのクレーム対応と比べれば格段に軽易です。作業があったという事実だけを取り上げて判断するのではなく、作業の性質と量を踏まえて実態で判断してほしかったと思います。

 傷病手当金は、療養のために働けない間の所得補償として支給される給付です。その給付が止まると、療養を続けること自体が不安定になりやすく、生活への影響は小さくありません。だからこそ、受給可否の判断は形式ではなく実態に即して行われるべきだと考えます。

 もちろん、不正請求の抑止という観点から、退職日前後の就労の有無に敏感にならざるを得ない事情は理解できます。しかし、行政通達や「健康保険法の解釈と運用(法研)」でも、労務不能は本来業務との関係で社会通念により判断し、軽易な作業が可能という一点だけで直ちに否定しない考え方が整理されています。本件の裁決は、その原則に立ち返って判断したものだと受け止めています。

 

【参考文献】

 ・厚生労働省 社会保険審査会裁決

  令和3年(健)第110号(令和3年11月30日裁決)(労務不能、資格喪失後の継続受給要件)

 ・健康保険法の解釈と運用(法研)傷病手当金