まだ膝が不調です。20km歩けるか不安ですが、時間がかかってもよいように朝早く出発しました。
旧市街の出口の門Arco de San Martín。
門を抜けたところを直進したら後ろから「peregrino」と呼びかけられました。左手の階段を降りなければなりませんでした。改めて写真を見てみたら。この敷石で矢印が作られていますね。ちなみにGoogleマップのストリートビューを見るとこの門をくぐる道は数年前までは石畳ではなくアスファルト舗装路だったようです。
こうした像があると巡礼路にいることがわかるのですがこのブルゴス市内は目印となるホタテマークがとても少なく困りました。
市街地のはずれで間違えたときは、付近に人がいましたが誰も教えてくれませんでした。都会ではそんなものかもしれません。門を出たところで大声で呼び止めてくれたおじさんに感謝。
四国の遍路道とは違ってこの巡礼路の道標としては1971年とか1965年とかは古いほうかもしれません。
十字架はもう少し古いのかな?
立派な建物がありますが膝に余裕がないので遠くからパチリ。旧王立病院だそうです。
公衆トイレ。有料ですがありがたいですね。今回は使用せずに済みました。
あいかわらず州名CASTILLA LEÓNの”Y LEÓN”が消された看板 白塗りバージョン
村の観光案内図も荒れています。
八の左上に「がんばってね!」の落書き 左下で黒塗りされているのはUNESCOのマーク
こちらはUNESCOと世界遺産マーク、そしていつものようにLEÓNが黒塗りされていますが、上からY LEÓNが書き足されているという地域紛争状態。
なんとか10kmほど歩いてTardajos村到着
巡礼者の泉
薬局で痛み止めやひざのサポータなどを購入。とても親切な薬剤師さんと相談して、今日はここで歩きを中断することにしました。予約していたアルベルゲまでのタクシーも呼んでもらえました。タクシーを待つ間、話し相手にもなってくれ、親の跡を継いでこの薬局で働くことになった経緯とかやりがいなどを語ってくれました。地元の人にも巡礼者たちにも頼りになる存在なんだろうな。
残りの巡礼路10kmを歩くと峠越えをしなければならなかったのですが、タクシーだとあっという間に到着。
夕食会。
よく一緒になる韓国人カップルの彼氏のほうが「やきそば?」っていってたフィデウワ。パエージャのパスタバージョン。もっと細い麺のイメージのある料理ですがここのは太めで確かに焼きそばっぽかったです。大好物なのでお替りしました。(予定の半分しか歩いていないのに)
翌朝になっても膝の痛みは引くどころかよりひどくなってきたので撤退の方向で検討開始。
宿泊予定の次の宿までタクシーを頼んでいたら同宿の南アフリカ人が一緒に乗りたいということで料金をシェア。荷物の宿への搬入もやってくれてとても助かりました。陽気な人で移動中も気分が落ち込むこともありませんでした。あと、こういう日に限って初めて日中に激しい雨。ある意味、ついています。
宿に通信アプリのWhat's upで「早く着くから出来るだけ早めにチェックインさせてもらえるとありがたい」とメッセージを入れたら「中庭にいていいよ」と返信。着いたらタクシーに同乗した南アフリカ人が宿の中まで、そして宿のホストが屋根付きの中庭まで荷物を運んでくれました。アルゼンチンのおばさんも止むまで雨宿り中でした。頑張ってスペイン語会話。
自炊不可となっていたのになぜか宿で売っているラーメン。やっぱり韓国人多し。
雨が上がりました。
今日の夕食も楽しい会食。出入り口に近い席に座ろうと思ったらなぜか女性ばかりのテーブル。でもみんなどうぞどうぞと歓迎してくれてお誕生席に。隣の男性ばかりのテーブルのほうから冷やかしの歓声。アルベルゲの寝室は男女の区別のないことが多いのですが、たまたま比率が良かったのかここでは寝室も男女別になっていたようでした。
さらに翌朝、他の部屋に泊まっていた巡礼者が出発するときにわざわざ私の部屋に無事に帰国しなよと声をかけに来てくれたりしました。あと、いらなくなったシャンプーのミニボトルを今日買わなきゃと言ってた馴染みのドイツ人女性にプレゼントなどをして宿を後にします。
同宿のアメリカ人が予約していたタクシーに相乗り。待ち時間を含め2時間ぐらいおしゃべり。テキサスで馬を飼ってるのだそうです。6週間の乗馬旅も旦那さんとしたとか。でも彼は歩き旅はしないそうで今回はひとりで来たそうです。彼女も少し靭帯を痛めたので車と歩きで旅を続けるとのこと。ちなみに宿では
村の中心部から少し外れているのですがアメリカ人がタクシーの行き先を駅に変更してくれました。
転んでもただでは起きないマンホーラー。スペイン国鉄RENFEの蓋を見つけてニンマリ。
標高表示もありました。アリカンテというところの地中海平均水面から788.6m。DIRECCIÓN GENERAL DEL INSTITUTO GEOGRÁFICO Y ESTADÍSTICO(地理統計研究所総局)は1878年から1925年まで存在した組織のようです。となると100年物の標識?
機関車にも派手に落書き
Fromistaから在来線でパレンシア駅まで
ここで新幹線に乗り換えです。
二等車両にも飛行機のようなディスプレイが。でも行き先表示が逆方向をさしていてちょっとパニックになりそうでした。
マドリッド駅にほぼ直結のホテル。駅のホームからホテルまでの数百メートルがとても辛かったですが、エレベータに近い部屋をお願いできて助かりました。
そして帰国の日、タクシーで空港へ。すぐに車いすの借りられそうなサポートセンターが見つかり、そこからはチェックインカウンターからラウンジまで車いすを押してくれました。
さらに専用のバスで別のドアから機内へ運んでもらえました。
その後も飛行機の乗り継ぎ、成田から鉄道、鉄道の乗り継ぎとリレーがつながり最寄り駅の出口まで車いすで運んでもらえ至れり尽くせりでした。幸いけがのほうはすぐに回復したので春になったら続きを歩きます。期せずして四国遍路のように区切りうちとなってしまいました。
Youtubeのリンクをはっておきます。→ Youtube












































