北海道秋散歩 函館 その9 軍事遺構など | 東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

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マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

3年越しにやっと行けた北海道旅行だった割にほとんど事前情報収集をしていませんでした。そんなわけで、全く期待はしていなかったのですが唐突に出会えたのがこれ。

 

その3 その他の古そうな蓋、珍蓋と思ったらまさかの教科書蓋」に書いた函館山の配水場へ向かう途中に境界標らしきものがありました。

 

陸軍省?の文字に心が躍りますが日陰側の文字は読めません。

 

上のほうはSM 1stZ? 漢字は現地では全く読めなかったのですが、少し加工しすぐ後で出てくる別の石柱も参考にしてみると「津輕要塞第一地帯」と読めました。SMは分かりませんが1stZは1st zoneでしょうね。

 

配水場見学後ですが近くにもう1本あることに気付きました。

「要塞第一地帯」ははっきり読めますが 「津輕」の部分は消されています。名称が変わったのかな? 第〇〇号の〇〇の部分もあとで十三に書き換えられた感じです。「三」の文字も不自然。設置日と思われる日付は明治三十二年八?月十日となっていますがその後に書き換えられたのかもしれませんね。

 

これも全くプランになかったのですが季節柄、野鳥観察にいいかもと思ってケーブルカーで登って、歩いて降りてきた箱根山の途中、こんな看板がありました。御殿山第二砲台跡。立派な境界石があるくらいですから相当大規模な要塞であったのでしょう。

 

函館山の登山道からは少し外れていることもあり全く人気のない道を少しだけ入っていくときちんと整備された砲台跡がありました。

この地下に伸びる階段と地下室の入口の様子は5年前に連れて行っていただいた観音崎の砲台跡を思い起こさせます。

 

5年前に行った砲台跡の写真。そっくりですね。あの時は三浦半島ツアーということで案内していただいたのですがブログにまとめることを失念したままでした。案内してくださった方がまだお若いのに最近お亡くなりになったと聞いてとても悲しく残念です。追悼にはなりませんが三浦半島ツアーも記事にまとめなくてはいけませんね。

 

さて、函館に戻ります。

 

こちらも道路案内標識を見て聞いたことのある名前だと思い歩いて行った立待岬の帰り道にであったもの。白飛びしていますが立入禁止だかの掲示がしてあるだけでこの正体については触れていませんでしたが雰囲気的に軍事遺構かと思います。地下壕への入口とかでしょうかね。どうでしょう。

 

最後は遺構ではありませんが軍関係ということで。立待岬へ向かう途中に墓地があったのですがそこで見かけたお墓。先端が四角錐に尖ったお墓は陸軍の軍人さんのものという話を聞いたことがあったのですが、やはりそうでした。改めて検索してみるとこんなレファレンス事例がありました。

 

お墓つながりで次は慰霊碑関係にしましょうかね。