kyokaisekiさんのブログ「きょうの境界石」で旧三崎町の水道の蓋が紹介されていたのを見て三浦市に行ってきました。
旧三崎町の範囲を漠然と把握して、三崎口駅から三崎港まで歩きました。三崎町の水道は昭和10年に給水開始とのことです。
驚いたのがこの蓋。横浜市章のハマ紋章の量水器に「みさき」の文字。ハイブリットというかなんというか。。。勝手に作っちゃったのでしょうか?
右書きの蓋があったと思ったら三浦市の市章。市ができたのは昭和30年(1955年)だそうですが、この頃も右書きは普通だったようですね。
三崎町の量水器の蓋もありました。少なくとも昭和30年以前のはずですが、それなりに状態の良い蓋がいくつもありました。
一方、止水栓はほとんど残っていないようでした。今回見つけることができたのは1枚だけでした。
三崎港付近をめぼしい収穫のないままお昼までウロウロし、昼食をとったあと、kyoukaisekiさんのブログに出ていた三浦海岸のスシローの裏の物件も見に行ってきました。
これです。三崎町の蓋が2枚と今回見つけることのできなかった三浦市章の小蓋が1枚並んでいて楽しいトリオになっています。
ただ、ちょっと不思議なのはこの地域が旧三崎町かどうかということです。どうも旧上宮田町地区のようなのです。三崎町水道が隣町までサービスを行っていた可能性もありますが、もしかしたら越境蓋かもしれません。
もう一つ気になるのは、三浦市の公式HPには三浦市水道事業のあゆみとして「昭和21年11月 下宮田旧軍用水道施設の使用開始」という記述があります。首都防衛の要としても重要な地域としていくつもの施設があったのでしょう。この軍用水道の痕跡も見つけられたらと思います。下宮田は三崎町、上宮田町とともに三浦市のもとになった初声町の一部だったようですが、kyoukaisekiさんのブログ記事には上述の三浦海岸の蓋のそばにある「東京湾要塞」の石碑も紹介されていましたので、これも見てきました。事前情報なしにはまず気づかなかったと思います。感謝。